日本橋から品川へ [2006/1/28 Sat.]
来週の足慣らしと、まだ踏破していない起点・日本橋へ戻り、京橋・銀座・新橋・浜松町・田町そして品川宿までの約8kmを途中寄り道をしながら歩いた。好天にも恵まれ、国道沿いのコースではあったが心地よい試走となった。

最近、日本橋の景観再生問題が関心を集めている。橋上の首都高速道路を撤去・移設しようとするものだが、現地で見てみると全く同感だ。日本の全ての道路の基点である日本橋。相応しい史跡保存がされているにも係わらず重く首都高が景観を大きく阻害している。小泉さんが任期に切れる9月までに基本方針を纏めるとか。一説によると数千億円規模の財源が必要だとか言われるが、それならここ数年論議されてきた高速道路建設の方が実用的な気もする。
橋は何度も架け替えられ、現在の橋は明治44年(1911)に完成したそうだ。徳川家康が1603年の町割りをした際に日本の中心の橋と言う事で日本橋と名づけられたようだ。

日本橋は日本国道路元標として、江戸時代は五街道の基点として、今も1号線を初め主要国道の基点となっている。
中央通りを西に向かう。

京橋は日本橋と同時期に京橋川に架けられたようだが、首都高建設時埋め立てられ、撤去され今は首都高下に親柱等が史跡として残されるのみ。明治時代設置されていたガス燈も記念として残されていた。

京橋を抜け、見慣れた景色・銀座に入ってくる。銀座の名前は1612年に幕府が駿府から銀貨鋳造所を移設したのが始まりで、地名としては明治に入ってから使われたそうだ。以前は柳並木であったようで歌碑と共に二代目が残されていた。
新橋も同様に首都高の下で、橋も川も無く、記念の欄干の親柱が残されているのみ。東京オリンピックに向け、首都高建設時に川の上を通し、橋を埋め、今の東京が出来上がった様子が伺える。
浜松町・金杉橋付近は今も水路が確保され、当時を偲ばせる釣り宿が多く残る。
田町の手前に西郷隆盛と勝海舟が会見した記念碑あ残されている。薩摩藩蔵屋敷跡で、戊辰戦争の戦火から江戸の町を救った会見場所だ。

田町を過ぎ、品川の手前、山側には、赤穂浪士で有名な泉岳寺がある。赤穂浪士討ち入り300年祭を終え、整備が行き届いている。浅野家や四十七士の墓があり、多くの人が訪れていた。

品川駅は港区にあり、品川区には無い。品川宿は駅を過ぎ京浜急行の北品川駅から青物横丁駅にかけてで当時は江戸の玄関口として賑わっていたようだ。わが社の近くで、今も商店街が続き店を連ねている。今日はここまで!会社に行って仕事をしよう!
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