江尻宿・府中宿から安倍川橋へ [2006/3/21 Tue.]
横浜7:41発東海1号で清水着9:26着。前回やり残した府中宿(静岡)にどた3友と向かう。天気は良いが、春霞と言うのか富士はぼやけて残念ながら前回とは大違い。 
清水銀座商店街。この辺りが宿の中心だったようだ。今はその面影は無い。通りにはエスパルスの応援歌が絶え間なく流れ、さすがサッカーの街だ。

魚町稲荷神社。このあたりに信玄が築城した江尻城があったとか。周囲の風情とアンマッチな日本少年サッカー発祥の地の碑があった。
稚児橋。河運の中心であった巴川にかかる。新橋の渡り初めの際、河童の稚児が現れ、サッサと渡ってしまったとか。その伝説により、可愛い河童の像がみられる。

是より志みず道。東海道と清水港への道との分岐点。角には創業元禄8年(1695年)の老舗「追分羊羹」が。日持ちするため道中食であったとか。今でも繁盛してそう!
都田吉兵衛供養塔。通称都鳥は森の石松の仇として、ここで清水一家に討たれたとか。
今日は早くも東京でも桜の開花宣言が。温暖な静岡は史上2番目の3月17日開花宣言があり、もう三分から五分咲きか。しだれ桜は満開近い。あまりの早さに梅も桜も同時進行!
草薙一里塚。江戸から43里。
昭和37年JR東海道線の操車場建設により。旧東海道と共に発展した栗原地区が分断されたが、後世にその歴史を伝えたいとの願いを込めて記念碑が建設された。
JRや静岡鉄道と何度も交差しながら、駿河最大の府中宿に入る。ユニークな道標が整備されている。府中宿は徳川家康が晩年を過ごした駿府城の城下町として駿河では最大規模の賑わいだったとか。
西郷・山岡会見の地。明治元年(1868)幕臣山岡鉄舟が西郷隆盛と会見。江戸城の無血開城の合意した。
モダンな静岡市庁舎。敷地内には駿府町奉行所跡の案内が。静岡の由来は府中は不忠に通ずる事から廃藩置県を前に改称が協議され、賤機(しずはた)山にちなみ賤ヶ丘(しずがおか)と一度は決まったが、その後静ヶ丘即ち静岡が良いと提案され最終決定された。
宿場の面影はほとんど偲べないが、追手門の入り口・札の辻跡地周辺が伊勢丹を初め商業の中心として賑わっている。

府中宿を抜け、丸子宿に向かう。左は創業240年わさび漬の老舗「田尻屋」。右は由井正雪がここで自刃したと言われる墓跡が記念碑となっている。

左は勝手に川越しした旅人の落とした財布を川越人足が宇津ノ谷まで追いかけて手渡したと言う「安倍川義夫碑」右はいよいよ安倍川橋。本日はここまでとする。
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