見附宿をから天竜川を越え、浜松へ [2006/10/21 SAT.]
見附宿は、奈良時代には遠江の国府が置かれ古くから栄えた町。西から来た旅人が初めて富士山を見つけるため「見附」の名が付けられたとか。
見附宿手前の急坂を下ると見附宿入口の東の木戸跡である。

見附宿も町の景観を重視し、通りに面する建物も趣向を凝らしている。右は予備校だ。

明治8年に建てられた旧見附学校。本陣跡を過ぎた右手に建つ白亜の洋館が眼に飛び込んできた。日本最古の洋風木造建築小学校校舎とか。現在は郷土資料館として一般公開されている。
「府八幡宮」 見附宿を後にし、JR磐田駅に向かう左手にある。国府の守護神として勧請したと言われる神社。

磐田の商店街にはやはりサッカーボールが。磐田駅への道を道標に従い右折する。
「宮之一色一里塚跡」江戸から数えて63里目。

いよいよ天竜川を渡る。たびたび氾濫を起こし「あばれ天竜」と呼ばれた難所だ。陽も陰り始め、橋を渡る足取りが重い。

橋を渡り、左折すると「船着場跡」。
「六所神社」
中野町。東海道の中間地点。京・江戸いずれからも62町28町であったため、この名が付けられたとか。これで名実共にやっと半分だ。

天竜川の治水に尽力した金原明善の生家、記念館が立ち並ぶ。昔、小学校で習った記憶あり。

浜松に向かい西へひたすら歩く。秋の夕方は日が落ちるのが早いものだ。
久しぶりの行程にしては、30キロは長すぎた。6時前無事浜松着。浜松宿の散策は次回とする。浜松から缶ビールと柿ピー片手に新幹線乗車!次の掛川駅まで約9時間かかった道程を僅か10分だ。文明の力を今更ながら痛感する。
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