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「吉田宿」から豊橋を越える [2006/11/18 Sat.]

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吉田宿の北側に吉田城址はある。1505年に築城され、今川義元、武田信玄、徳川家康ら戦国武将の戦いの舞台となった。石垣や昭和29年に復元された隅櫓が残る。周辺は豊橋公園として市民の憩いの場となっている。
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豊橋駅。豊橋は東三河の拠点都市だ。9時に新横浜からノンストップで豊橋まで運んでくれるひかりで到着。「ほの国・豊橋」と言うキャッチフレーズが目に付く。大宝令により律令国家が完成される以前、東三河地方は「穂国(ほのくに)」と呼ばれていたようだ。
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懐かしい路面電車が駅前から東部方面への市民の足として活躍している。
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豊橋公園。城址公園は野球場やテニスコート、美術博物館などが立ち並び、広い庭園は緑多く市民の憩いの場として親しまれている。
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本丸跡への道は緑多く、ところどころには紅葉も目立つ。
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本丸跡石垣と中央の広場。昭和29年に復元された隅櫓が見える。
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緑に囲まれた園路と、公園端に建てられた豊橋市庁舎を望む。
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公園を後にし、東海道に戻る。前回見つけられなかった吉田宿の東の入口「東惣門」平成14年に復元された。
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吉田城入口の一つ曲尺手門史跡と本陣跡。今はうなぎやの軒先だ。
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吉田宿の案内と西に入口「西惣門」史跡。
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吉田城内の鎮守であった「神明社」
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明治2年吉田は豊橋と改名された。豊橋は豊川にかかるこの橋の名前が由縁だ。
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三河とは乙川、豊川、矢矧川の三川を由来としるそうだ。昔の豊橋の親柱などが史跡として残されている。
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豊橋を謡った歌も多い。

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