七里の渡し「宮宿」へ [2006/12/6 Wed.]

第41番目の宿場町「宮宿」は熱田神宮の門前町として開け、由来は「熱田宮」のようだ。桑名への「七里の渡し」、62万石の城下町・名古屋への表口として大いに賑わった。今は写真の常夜燈と時の鐘が復元され、「宮の渡し公園」となっているが、周辺はひっそりと往時の見る影も無い。

何としても年内、41番目の宿「宮宿」までたどり着きたいと、出張の合間に名鉄で前回の終点「鳴海宿」まで戻る。本陣跡は、東芝ストアの軒先に案内板が残るのみ。右は本陣跡の先を右折し、小高い丘の途中にある「鳴海城跡碑」今は公園となっている。桶狭間敗戦後も最後まで抵抗した今川方の城だったようだ。
鳴海宿の西の入口「丹下の常夜燈」東西の常夜燈が残るのは珍しいようだ。

鳴海宿を抜け、右折し進む。天白橋を渡りしばらく行くと、右手に堂々とした「笠寺の一里塚跡」がある。江戸から数えて88番目。榎の老木は壮観だ。今までの一里塚跡でも指折りのスケールで、造成規格の五間四方に合致するようだ。
なだらかな坂道を上ると右手に笠寺がある。正式には笠覆寺と言い、尾張四観音の一つ。

賑やかな本堂では夜店の準備が、水掛地蔵や多宝塔、西門となかなか雰囲気のある寺だ。史話も多く、地域の皆さんの信仰も深そう。
歩を進めると、やがて1号線としばらくぶりに合流。するとそこに今年何かと世間を騒がせた「パロマ」本社があった。

1号線に別れを告げ、名鉄を越えると、いよいよ「宮宿」だ。左は「裁断橋跡」秀吉の小田原攻めの際の逸話が残る。又、直ぐ横には「都々逸発祥の地」の碑が立つ。
熱田神宮南側に位置する「伝馬町」このあたりが宿場の中心だったようだ。

旅人の安全を見守った「ほうろく地蔵」。回りは暗くなってきたが、分かりづらい裏道を標識柱がしっかり七里の渡しまでの道を案内してくれる。
ほうろく地蔵を左折し、直進すると、いよいよ「七里の渡し跡」だ。時の鐘が復元され、ナトリウムランプでライトアップされ、幻想的な雰囲気を醸し出している。
宮と桑名の間には木曽川、長良川、揖斐川の三川が流れ、いずれも川幅が広く架橋が困難なため、渡しを利用したようだ。
今もチャーター船が行き交うようだ。船着場が整備されている。いくらぐらいかかるのかな。しかし暫くは工場や住宅の合間を抜けねばならず、往時の雰囲気は出るのかな?回りはすっかり日が落ちたが好天にも恵まれ、何とか撮影できた。しかし、三脚と一眼レフがあれば芸術写真に挑戦できたような絶景だ。
「宮の渡し公園」として整備され、高校生が元気にランニングしていた。
熱田神宮のある名鉄「神宮前」駅まで約15分歩く。時間は5時半、残念ながら真っ暗で、参拝は諦め、名古屋駅に戻る。さあ!2007年は桑名からスタートだ。
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