七里の渡し「桑名宿」から「四日市宿」へ [2007/2/10 Sat.]

昨年12月初め「宮宿」七里の渡しに到達して以来、二ヶ月ぶりに今年初の「東海道を行く」を再開した。学生時代の仲間二人と9時過ぎ桑名駅に集合し、七里の渡しの到着地「桑名宿」をスタート。東海道49番目の宿場町「桑名宿」は今は商工業都市として栄えていて、残念ながら当時の面影を残すものはあまり無い。
七里の渡し後の伊勢神宮一の鳥居や常夜灯は堤防の外にあり、ちょうど護岸工事中で近寄ることも出来なかった。
七里の渡し跡付近からの眺めた雄大な揖斐川河口。遠く対岸の長島温泉長島スパーランドの遊戯施設も眺めることが出来る。 
渡し跡近くに復元された桑名城蟠龍櫓。広重の東海道五十三次にも描かれ、東海道を行き交う人々のシンボルであったようだ。今はライトアップされ、当時を偲ばせている。
海道の名城と言われた桑名城三の丸跡に造られた芝生広場・吉の丸コミュニティパークにある「本多忠勝像」。徳川四天王の一人で1601年桑名城主となり、桑名を大改造したとか。たしか岡崎城跡にも立っていたな。
広場横に「柿安」本店が!今や東京でも高級食材として名声を得ているが、本店が桑名にあったとは知らなかった。やはりこのあたりは牛肉が有名なんだ。
国道1号線を越え、進むと比較的古い街並が残されている。旅人の休憩場だった矢田立場跡に復元された火の見櫓。

左は古い街並を進むと町屋川の手前に伊勢神宮常夜燈と里程標が残されている。往時を偲ばせる唯一の遺物である。右は東芝三重工場。旧東海道沿い近鉄伊勢朝日駅前にあった。こんな所にあったとは!

古い街並が続く。しかしながら狭い道に車の往来が激しく、ノンビリ街道歩きとはいかない。左は富田一里塚石標と米洗川手前の常夜燈。川の手前に常夜燈が立つのは舟運の燈台を兼ねているためのようだ。
さらに歩を進める。多度神社の先、海蔵川の手前に三ツ谷の一里塚石標がある。右は四日市宿に入る手前にかかる三瀧橋。広重の絵にも描かれている。
藤堂高虎が足軽の頃「武運のながき餅を食うは幸先よし」と言い、大名になった後も参勤交代の都度立ち寄ったと言う逸話の残る四日市名物「笹井屋のなが餅」
四日市宿内、手差の道標。「すぐ江戸道」「すぐ京いせ道」と方向を指で示している。すぐはまっすぐの意味とか。この辺りが宿場の中心であった事を立証するものだが、往時を偲ばせるものは他には無い。右は四日市の人々に崇敬される諏訪神社。

昼食は商店街の中で「ひつまぶし」を堪能。と言っても1260円と超リーズナブル。もう少しパリパリ感が欲しいが、まあ合格とする。東海地区は鰻屋が多い。店はうなぎ松岡。自ら養鰻場も持っているとか。
今や三重県最大の商工業都市「四日市」は、その名の通り、16世紀から四の付く日に市が開かれ発展したようだ。今は近代都市となり、駅前通りには往時を偲ばせるものは無い。<
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