石部宿から六地蔵へ [2007/3/3 Sat.]
水口宿から51番目の石部宿までは約14km。51と言う数字が残り僅かを実感できる。滋賀県内の旧道はほとんど国道とは離れており、街並も落ち着いた雰囲気でとても歩きやすい。水口でロスした一時間がもったいない。
写真は白壁造りの家並みなど往時を偲ばせる街並が続く石部宿。

JR三雲駅前近くで遅めの昼食をとり、歩を進める。JR草津線沿いを直進する。途中2ヶ所、大沙川・由良谷川と滋賀県名物天井川のトンネルをくぐる。トンネルの上が川と言うのはやはり違和感がある。
大沙川の堤防上に弘法杉があった。樹齢750年の大杉で、弘法大師がここで昼食を摂る際に使った杉箸が根付いたと言われている。
街道歩きを堪能していると、落ち着いた雰囲気を醸し出す北島酒造の前に出た。文化2年(1805)創業の蔵元で、座右の銘酒「御代栄」が有名で、近江米と鈴鹿山系の湧き水で仕込まれた酒は絶品だとか。
東の見付跡や吉姫神社前を通り石部宿に入る。高札場跡は公園整備されている。
本陣跡は当地も明治天皇聖跡前にある。この明治天皇聖跡は今までに何十いや何百見てきたことか?明治天皇の行動の広さに驚かされる。時間的に閉店していたが、休憩所として復元された広重の浮世絵に描かれた田楽茶屋。

土山宿はカラー舗装が道案内してくれたが、石部宿は写真の外灯が道案内だ。しかし少し安っぽい!もう少し金をかけてもらいたい気はする。一里塚跡を通り過ぎる。
西の見付跡は綺麗に公園として整備されている。「京立ち石部泊まり」と言われ、京から江戸に向かう旅人には最初の宿となり、栄えたようだ。
JR石部駅への分岐を過ぎ、歩を進める。しかしこの辺りは唯一道が荒れ、砂っぽい。左手に禿山が見えてきた。石部金山跡だ。金が採れた訳ではなく、銅や石灰を採掘し、江戸後期には灰山と言われたとか。
「石部金吉」と言う言葉の語源はこの金山とか。飯盛女を置かない堅い宿場を揶揄した意味のようだ。
石部宿に入る辺りから、近江富士が見え隠れする。宿を抜けるとはっきりと眼前に。近江富士、正式には三上山と言うが標高は432mしかない。富士山には遠く及ばないものの美しい姿は旅人への安らぎとなったであろう。
先を急ぐため、線路沿いの下道を通り、間の宿「六地蔵」に入る。しかし夕方5時も回り、国宝六地蔵の門は閉ざされていた。

六地蔵跡から旧「和中散本舗」を通る。和中散とは腹痛の漢方薬とか。家康が腹痛を起こした際に服用し、忽ち治った事から、腹の中を和らげる薬と言う意味で、名付け親とか。当時は旅人が列をなしていたようだ。続いて一里塚跡を通り過ぎる。
6時前JR草津線手原駅に到着。今日はここまでとする。草津まで電車で行き、駅前のビジネスホテルで一泊とする。51,255歩今日も良く歩きました。
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