家光の築いた「水口城」 [2007/3/3 Sat.]
宿場の中心部を過ぎ、近江鉄道の踏切を渡り、左折をし、水口城跡を見学することとした。以前も城下町岡崎で二十七曲がりに惑わされ、とんでもない方向に歩を進め、大きく時間をロスしたが、又も城下町水口で惑わされ、東海道へ戻るのに小一時間も迷ってしまった。
水口は宿場町であり、城下町である。もともとは豊臣秀吉の家臣、中村一氏が野洲川を見下ろす大岡山に築いた岡山城の城下町として発展したようだ。しかし関ヶ原合戦の西軍の敗北で落城し、水口は幕府の直轄地となり、宿駅として整備されることとなったようだ。写真の水口城跡とは別の場所で水口古城と呼ばれ、今は石垣が残るのみ。
写真の水口城はその後、寛永11年(1634)3代将軍徳川家光の上洛時の宿館として築かれ、再び城下町として発展した。別名碧水城と呼ばれ、作事奉行として小堀遠州も名を連ねる。
城跡は水口高校の敷地であるが、平成になって隅櫓が復元され、今では資料館として開放されている。
本丸跡は石垣が残るのみだが、写真のように往時を偲ばせる美しい景観だ。

城跡の近くに、旧水口町庁舎がある。そこに平成16年10月甲賀市誕生の記念碑があった。水口町・土山町など5町が合併し、県南の広大な面積を占めている。滋賀県はここ数年で積極的に市町村合併が進められ、約50あった市町村が現在は13市13町となっている。甲賀市を初め湖南市、東近江市、米原市など聞きなれない市も多い。
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