秋晴れの「日本橋」から「板橋宿」へ(中山道スタート)
中山道を歩こうと決めてからあっという間に10月が終わった。秋晴れの日曜日、スタートにはピッタリ(?)の1並びの11月1日、約3年ぶりに江戸五街道の基点で現在も日本の国道の基点となっている日本橋にやってきた。
日本橋は1603年に創架され、現在の橋は1911年に架けられたそうだ。写真の街路灯のような「東京市道路元標」は橋の中央に建てられたものを1972年現在の場所に移設されたと言う。1999年には橋と共に米寿を祝い国の重要文化財にも指定されている。バックは三越日本橋本店。
現在、橋の中央には「日本国道路元標」が代わって埋め込まれている。右は同元標の複製。
秋晴れの日曜日、中央区の「まるごとミュージアム」と言うイベントが開かれ、朝早くから舟からの都心の景観を楽しむ人たちで一杯だ。
江戸時代は駿河町と呼ばれ、現在は三越や日本橋三井タワーなどが立ち並ぶ国道17号を北進し、JR神田駅ガード下を抜け、秋葉原の脇を進む。
神田明神下から緩やかな坂を登る。今年1月初詣に訪れた「神田明神」の前を通り、続いて徳川綱吉によって建てられ、日本教育の発祥の地とも呼ばれる「湯島聖堂」の前を通り、本郷の台地へ進む。
本郷3丁目交差点を過ぎると間も無く「東京大学赤門前」に出る。赤門は加賀藩主前田家上屋敷の御守殿門だったとか。国の重要文化財にも指定され、観光客が多いのには驚かされた。近いとは聞いていたが、我が社が先週まで居た場所とは目と鼻の先、一筋違うだけだ。
東京大学農学部前にかつて本郷追分があり、中山道と岩槻街道の分かれ道となっている。
ここで大チョンボをした。何て東大は広いのかなんて思いながら、岩槻街道をドンドン行ってしまい、暫く進んで引き返す羽目に。分岐には江戸時代からあると言う高崎酒店がある。またその軒下には、日本橋から最初の一里塚「追分の一里塚」があったと言う。
緩やかな坂を下り、山手線を越えると巣鴨に入る。すぐ左手に「真性寺」がある。真性寺は江戸六地蔵の一つとある。江戸六地蔵とは江戸深川の地蔵坊正元が発願し、江戸の出入口六ヶ所に地蔵菩薩像を造立したとの事。
中山道は「真性寺」の先を左に入り巣鴨地蔵通商店街を抜ける。最近では大型ショッピングセンター全盛期で商店街の衰退が叫ばれる中、この商店街だけは別物か?多くの人々で賑わっている。
商店街の中ごろにとげぬき地蔵で有名な「高岩寺」がある。多くの人々で賑わい、まるで中国の寺院を見るように地域住民と商店街そして寺院が一体化している。
歩を進めると小さな神社が右手にある。猿田彦大神とあり、別名巣鴨庚申塚と呼ばれる。このあたりは宿場間の休憩所であった立場であったとの事。
踏み切りを渡れば中山道最初の宿場町「板橋宿」はもうすぐだ。
« 日本三大がっかり?倉吉・白壁土蔵群 | トップページ | 東京大学へ寄り道 »
「中山道を行く」カテゴリの記事
- 4年ぶりの大津宿へ(中山道最終章)(2011.04.05)
- 「瀬田の唐橋」を渡り、JR石山駅へ。(2011.03.05)
- 東海道と合流する「草津宿」へ。(2011.03.05)
- 京発ち守山泊まり、中山道最後の「守山宿」(2011.03.05)
- 歴史ロマンの里「鏡宿」からJR野洲駅へ(2011.02.24)
この記事へのコメントは終了しました。








コメント