「熊谷宿」に向かい、長い道程を進む。
進んできたこのあたりは箕田源氏発祥の地と伝えられる箕田地区で当時は立場(休憩所)が置かれていたようだ。写真の氷川八幡神社は羅生門の鬼退治で活躍した渡辺綱が祀られていると伝わる。
北鴻巣駅との分岐の所に立派な道標が設置されている。箕田源氏や箕田追分など箕田地区の紹介がされている。
田畑の多い見晴らしの良いのどかな田園を抜けると「ここは中山道前砂村」と書かれた真新しい標識がある。説明によると「木曽街道 鴻巣 吹上富士遠望」江戸末期のこの浮世絵はこの辺りで描かれたとの事。
天気の良い日は富士が綺麗に見えるのであろう。地名も「富士見通り」となっている。
本日、2ヶ所目の迷い道は吹上周辺だ。どこを彷徨ったかわからないが、突然駅前に出たり、中仙道通りと呼ばれる道に出たりだ。合いの宿「吹上」は日光脇往還としての追分だったようだ。
何とかコースに戻り、進む。次は荒川の堤防沿いを進むが、その上がり口の手前に歌舞伎で有名な白井権八ゆかりの「権八地蔵」がある。
この後3-4km荒川堤防沿いを進む。しかし土手の上から川の流れは全く見えず、見えるのは田んぼや畑のみだ。聞くところによるとこの辺の川幅は2500mを越え、日本一の川幅だとか。
土手を降り、静かな街並が続く。ようやく熊谷市に入る。当時、立場があったと言う「久下地区」だ。久下神社の銀杏は見事に紅葉している。
結局、一日中、雨は降ったり止んだりで唯一の救いは比較的気温が高かったことか。静かな街並を進む。
久下橋の下を抜け進むと土手の手前にまた「権八地蔵」がある。こちらは逸話が残る「物言い地蔵」と呼ばれている。
元荒川のきれいなせせらぎの横に立て看板が立っている。何かと見ると「ムサシトミヨ」と言う世界で熊谷にしか生息しない淡水魚を紹介している。また市街地に入ると「八丁の
一里塚跡」の標識が立つ。
「鴻巣宿」から「熊谷宿」までの宿場間距離16.3kmは「中山道六十九次」では3番目に長い距離だ。熊谷駅に到着したのは4時半を回り、宿場の中心はまだ先、日も落ちてきたので此処までとする。
駅前で何だかバンドが演奏している。
駅前の喫茶店で疲れを癒していると、何か式典が始まった。駅前のウインターイルミネーションの点灯式だ。見事なLEDのイルミネーションが輝く。今日から1月末まで続くようだ。
累計距離は64kmとなった。年内に高崎までは行っておきたいものだ。
今日は一眼レフはあきらめて片手にコンパクトなデジカメを、片手に傘を持ち、万歩計は46,645歩を示す。少しずつペースは戻ってきたかな。
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