「板橋宿」から荒川を越える。
巣鴨地蔵通商店街、庚申塚商栄会、滝野川銀座通と商店街を次々と進むとJR埼京線板橋駅に出る。
板橋駅前に近藤勇墓碑がある。幕末幕府方新撰組局長近藤勇は1868年新政府軍に捕らえられ、板橋宿のはずれ板橋刑場で処刑されたそうだ。その後近隣の当地に旧同士永倉新八によって葬られたと言う。
近藤勇の墓所は諸説あるそうだ。東海道を歩いた際にも愛知県岡崎市法蔵寺の境内で首塚を見た。その時のブログは下記。
近藤勇 首塚
JRの踏切を越えると板橋宿に入る。板橋宿は平尾宿、仲宿、上宿からなり、当時の旅人も当宿から出入りする人が多く、街道一賑わっていたとか。現在は商店街が続く。
その先のいたばし観光センターに立ち寄った。ボランティアの人々が宿場の案内や地図の無料配布など親切に対応してくれる。
歩を進め、仲宿に入る。板橋宿本陣跡は碑が立つのみだ。
日本橋から板橋宿までは9.8kmの道のりだ。
石神井川に架かる板橋だ。日本橋からの距離が表示され子供たちが熱心に学習していた。
この板橋が地名の発祥となったようだ。
石神井川は川幅は狭いが、桜の木が両側から迫り、春は素晴らしい景観となることであろう。
板橋を渡り、上宿に入ると「縁切榎」と書かれた小さな神社があった。縁を切りたい人や逆に悪縁を絶って良縁を求める人から信仰を集めていたと言う。
地下鉄、志村坂上駅の手前に日本橋から数えて三番目の一里塚「志村一里塚」がある。(二番目の平尾一里塚は板橋宿の入口付近にあったようだが碑も立っていない。)
ほぼ昔のままに道路の東西に一対の一里塚が保存されている。
その先を旧道は左斜めに進む。中山道と富士大山道に分岐点には道標や庚申塔が残されている。中山道最初の難所と言われた「清水坂」の急坂を下る。
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