2番目の宿場「蕨宿」へ急ぐ。
荒川を渡り、堤防沿いに右折すると「水神社」がある。その名の通り、水神を祀り、水害や航海安全を祈る神社であろうが川岸に住む人々の氏神様のようになっているそうだ。
近くに戸田渡船場跡の碑がひっそりと立っている。
荒川には1875年まで橋が無く、戸田の渡しが江戸を出入りするには不可欠だったようだ。
寄り道、迷い道、回り道か?のんびりし過ぎで戸田橋を渡る頃には周囲は薄暗くなって来た。国道17号線に戻り、急ぎ足でひらすら北上する。2kmほど進み、GSの手前に蕨宿入口の碑が立っていた。
ここから右に入ると蕨宿になるが、入口には大木戸門をイメージした木製のモニュメントが立っていた。
「わらび」と言う地名は平安時代の書物からあるようだが地名の由来は「藁火」説(藁を燃やす)と「蕨」説(植物の蕨)があるようだ。
マンホールの蓋にも中山道蕨宿が描かれている。
蕨宿ほぼ中央にある「歴史民族資料館」に到着したのは閉館時間の4時30分。周囲はすっかり暗くなり、中を見学することも出来なかった。
資料館の隣には本陣跡がある。
「板橋宿」から8.9km、日本橋から18.7kmの蕨宿到着が4時半では話にならない。次回また蕨宿からスタートとする。
本陣跡から歩いて約15分、JR京浜東北線蕨駅に到着した。まだ5時前だと言うのにもう真っ暗。これから冬に向かい、日はますます短くなる。先へ進むには朝の時間をもっと有効に使わねばならない。反省の多い一日でした。
しかし万歩計は38942歩を示している。どこをそんなに歩いたのかな!?
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