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友と一緒に神保原駅から「新町宿」に向かう。

Photo 学生時代の友人が初めて付き合ってくれた。9時過ぎにJR神保原駅で集合し、天気予報は昼から雨、先を急いだ。
神保原駅の構内に七福神が並ぶ。何故か?謂れを調べたが良くわからない。

Photo_2 神保原駅前を9時15分出発。

Photo_3 国道17号線を横断し、県道を進む。左手に庚申塔や石仏が並ぶ。

Photo_4右手には八幡神社。イチョウの落ち葉が朝陽に映え素晴らしい。

Photo_5 左手には武田信玄夫人の陽雲院が晩年を過ごしたと伝えられる陽雲寺。

Photo_6 境内の紅葉は身頃を少し遅すぎたか。

Photo_7 上里町賀美地区には同町教育委員会により、周辺地区を案内板で紹介している。

Photo_8 本当に昼から天気が崩れるのか?と思えるほど青空の中進む。右手に庚申塔や石仏が並ぶ。

Photo_9 Photo_10

歩を進めると右手に小さな社が立つ。その左手に一里塚跡の碑が立つ。Photo_11

しばらく歩くと国道17号線と合流し、神流川(かんながわ)にかかる神流橋を渡る。橋の欄干には復元された「見透燈籠」が立つ。
当時は大水に荒れ、旅人を悩ましたため、燈籠に灯をともし目印としたようだ。
利根川水系の神流川は内陸部にしては川幅の広さに驚く。

Photo_12 Photo_13 モデルとなった武州側燈籠は近くの大光寺に保存されているとの事。
橋を渡ると群馬県高崎市に入る。地図で見ると埼玉県は小さいが歩くと長いと驚く。

Photo_14 「ようこそ高崎へ」の看板が立つ。

Photo_15 群馬県側橋のたもとに「神流川古戦場跡」の碑が立つ。
1582年織田信長が本能寺で倒れ、仇を討つため立ち上がった瀧川一益と北条氏直が戦った古戦場跡だ。

Photo_16 国道沿いに少し歩き、右手に入る。その角には「見透燈籠」が立つ。「新町宿」の入口道標になっている。「従是 左江戸二十四里 右碓氷峠十一里」とある。

Photo_17 「新町宿」に入り、しばらく歩くと小さな八坂神社の横に「傘におしわけ見たる柳かな」と芭蕉の句碑が立つ。

Photo_18 整備された「行在所公園」の一角に明治天皇が宿泊された行在所跡が建つ。

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「旅籠高瀬屋跡」や「小林本陣跡」の碑が立つ。

11番目の宿場町「新町宿」までは手前の「本庄宿」から11.1km、累計では97.6kmの位置にある。その名の通り、宿場の中では最も新しく1724年に2つの町が合併してできたそうだ。

Photo_21 Photo_22 宿場の出口にあたる弁天橋の手前に「弁財天」がある。その傍らにも芭蕉の句碑がある。東海道でも思ったが、芭蕉の句碑と明治天皇の碑は多い。それだけ諸国を回ったと言う事か。
橋を渡り「倉賀野宿」に向かう。

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