難所「碓氷峠」を越えて「熊野神社」へ。
都会では見れなくなった霜柱をザクザクと踏みしめ、山道に入る。
いよいよ峠道・ハイキングコースに入る。
堂峰番所跡、念仏百万遍と急坂を進む。
柱状節理の岩石がゴロゴロする道を進む。
刎石坂には多くの石造物が並ぶ。本コースでは一番の難所だ。たまらずここで一服する。
刎石坂を上りきった所が「覗(のぞき)」と呼ばれ、今来た「坂本宿」が眼下に良く見える。
刎石茶屋に水が無いことを憐れみ、弘法大師が掘り当てたと言われる井戸だ。
この辺りまでは急坂が続いたが、この後は尾根道が続き、そしてだらだらと上り坂が続く。
南向馬頭観音、北向馬頭観音が並ぶ。
「座頭ころがし」と呼ばれる 坂が続く。赤土に石がゴロゴロ転がっている。
現在は廃道となっているが、明治天皇が馬車でご巡幸した道路と中山道の分岐となった「栗が原」。
このあたりは峠道の中心的な場所で、13軒の茶屋があり「山中茶屋」と呼ばれていた。学校まであったようだ。その先はまた急坂「山中坂」が続き、「山中茶屋」で腹ごしらえしてから上ったことから「めし食い坂」と呼ばれる。
峠道に入ってずっと「安政遠足」と書かれた標識がある。どこの学校の遠足(えんそく)コース案内かと思っていたが大間違いで遠足(とおあし)と読むようだ。何かと言えば江戸末期、安中藩主が藩士の心身鍛錬のために始まり、現在は毎年5月の第二日曜に安中城址から熊野神社までの7里余り、高低差1000m以上を走り、日本マラソンの起源と言われる由緒ある大会だった。
このあたりから、残雪が多い。ひたすらダラダラ坂を上るが、左足の靴擦れより、変な歩き方になったのか、右足全体が重くなり、一向にピッチが上がらない。
最後の上り坂は「長坂道」と呼ばれる。元神宮寺仁王門跡の碑を越えればゴールは間近だ。
ようやく霧積温泉への道に出た。「野生動物(クマ)生息地域」の大きな看板に驚く。重い足を引きずりやっとこさ1時前熊野神社に到着する。「安政遠足 決勝点」の大きな看板もあった。コースガイドでは横川駅から約3時間のコースだが、シャッター押しながらとは言え、4時間半も要した。情けないどころではない。若い頃はコースガイド時間をどれだけ短縮できるかを競っていたが、今や1.5倍もかかるとは・・・・。横川駅から高低差約700mのハードなコースだった。
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