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交通の要衝、東濃随一の宿場町「中津川宿」へ。

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落合宿から西に歩を進め、急坂をのぼると「与坂の立場跡碑」が立つ。

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「子野の一里塚跡」「覚明神社」と西に向かう。

Img_3239 子野の石仏群

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静かな田園地帯から住宅地の中、「尾州白木改番所跡」「芭蕉の句碑」と進む。

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高台から「中津川宿」を見下ろす事ができる。

Img_3252 宿場入口に復元された立派な「高札場」。

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入口あたりには往時の面影は感じられない。

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「桂小五郎隠れ家跡」。長州藩士の桂小五郎が幕末中津川に潜んでいたとは知らなかった。右は東濃一の豪商といわれた「間家大正の蔵」。

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中山道の趣を現代風にアレンジ・復興させた憩いの場「往来庭」

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「脇本陣跡碑」「中山道歴史資料館」などが立ち並ぶ。

Img_3284 「中津川宿本陣跡」

「中津川宿」は江戸から数えて45番目、手前の「落合宿」から3.9km、累計で333.1kmに位置する。

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往時の面影を色濃く残す曽我家(庄屋跡)。

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枡形の辺りには往時の面影は色濃く残っている。「栗きんとん」は中津川が発祥の地だそうだ。今、最盛期で賑わう栗菓子の老舗「川上屋」。

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枡形地区には卯建(うだつ)の残る建物も多い。

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卯建(うだつ)とは延焼を避けるための防火壁で、写真アップの一段高い小屋根付の塀の事だそうだ。卯建を設けるためには多額の費用を要す事から裕福な家の代名詞となり、「うだつが上らぬ。」と言う言葉はここからきたそうだ。

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中津川の街をを中山道の宿場町として観光事業にも力を入れて行こうと言う自治体の意志が感じられ、各所にポスターやモニュメントなども並ぶ。

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3時過ぎにJR中津川駅到着。これで今回のツアーも終了だ。4時前のライナーで名古屋に出て、帰阪した。今日の歩数は33,710歩、推定歩行距離は16.2kmとなる。

「軽井沢宿」をスタートに信濃路・木曽路と長かった長野県の25宿場町を終えて、岐阜県内の美濃路に入った。交通の便も良いとは言えず、地味な宿場が多く、友人たちも付き合ってくれそうにない。モチベーションを保ってどう乗り切るかだ。

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