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木曽川を渡り「太田宿」へ。

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今日は「日本ライン今渡駅」からのスタートだ。この駅はその名の通り、日本ライン下りのスタート地点の最寄駅だ。見える太田橋の対岸から犬山橋まで河川美を見ながら川下りを楽しむものだ。

P1080959_2 木曽川手前にある「今渡渡しの跡の碑」

「木曽のかけはし 太田の渡し 碓氷峠がなくばよい」と唄われた三大難所の一つだ。

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今渡の渡し場跡から太田橋を望む。

「太田宿」への渡しの位置は時代によって木曽川の流れの変化もあり異なるようだ。太田橋を渡らず、もう一本下流の中濃大橋を渡ったがため、迷い遠回りをして大きく時間をロスしてしまう。

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川を渡れば、すぐ「太田宿」に入る。高札場跡と郡上街道追分に立つ道標。

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宿の入り口に立つ「祐泉寺」。約500年の歴史を持ち、名士の碑も立ち並ぶ。

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「祐泉寺」横堤防からの木曽川の眺め。日本ライン下りは最初はゆったりと下ることになる。

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往時の雰囲気を色濃く残す「太田宿」の街並み。

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国の重要指定文化財にもなっている「脇本陣林家住宅」。

P1090024昔ながらの造り酒屋

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P1090039_2   往時の宿場の雰囲気を再現する「太田宿 中山道会館」 

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門だけが残る「本陣跡」。

「太田宿」は「太田の渡し」を控えて発展した宿場で、近郊の行政の中枢としても栄えたようだ。江戸から数えて51番目の宿場であり、手前の「伏見宿」からは7.8km、累計で386.9kmに位置する。

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「太田宿」西の入り口に建つ「虚空蔵堂」と当地生まれの文豪坪内逍遥ゆかりのムクノキ。

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コメント

昭和時代の美濃加茂市鳥瞰図をhpで拝見したので、太田宿場展示室にあるか、訪れましたが、江戸期と現代の地図ばかりで残念でした。念のため、文化の森におたずねしたら、1点あって感激しました。昭和時代の美濃加茂市鳥瞰図写しの展示も期待します。

美濃加茂市鳥瞰図 続 :美濃加茂市鳥瞰図は昭和34年ごろ、観光社 発行 吉田朝太郎作と思われますが、残存数が少ないようです。発行枚数、さらなる現存場所、原画等をご存知の方のお知らせを期待します。

吉田初三郎 ポスター ライン下りは太田からとパンフレット 古井で乗らなきゃ片ラインの表紙が記載された ラインの風景展が美濃加茂市 文化の森で4月18日~6月7日に開催される。興味がわきます。古井遊覧事務所のパンフレットは日本ライン案内、爽快ライン下り、古井駅から日本ライン下りの3点が見られる。京都インクラインの疎水遊覧が復活した。古井駅~今渡ダムインクライン~犬山の本ラインの復活も期待したい。今渡ダムのインクラインは航空写真で見ると台車が見られるが、稼働できるか?古井駅ラインパンフレットは鳥瞰図に水道アンテナ低山に見るに掲載中。

今渡ダムについて、戦前戦後夏は、学校にプールがなくダム下の右岸水たまりが天然プールで泳ぎに行くのが日課であった。ただプールにいたのでは退屈で、監視通路を登り渡り、ゲート配電盤を横に見て左岸発電所の4台の発電機をのぞいたり、魚道の鮎釣りを見たり、インクラインの上流側で飛び込んだり、1号~20号のゲートの天端に登り通路を超えたり、ゲート下端と当たり板の隙間にウナギの子供が下流に口を出しているのを竹の薄い皮で差し込み引き出したりして遊んだ。下のエプロンのたまりは水深が背丈ぐらいで、竹筒を沈めてウナギの子供を捕った。時々インクラインを和船が上下していた。戦後は、近くの大鋸屑から粉末活性炭を作る工場から塩酸がもれて周辺の桑畑が茶色に焼けた。近場の郡是製糸の煙突は2本あって、小山観音の花立でくみ上げた揚水で製糸を作り、その排水は南に流れ下り、西に向けて、ため池で浄化して、加茂川に排水された。蚕のさなぎの混じる栄養満点の排水で雨天になると大きな鯉フナが遡上していた。夏は女工さんの盆踊りが毎夜続きにぎわった。

続、ダム右岸下流から太田橋の橋脚まで上流から泳ぎ下り、流れ下って右岸に帰るもの楽しかった。
今は、右岸側にも税金が入る川合発電所ができて、両岸に税金が落ちるようだ。洪水になると泳げなく、上流で疫痢が発生すると水泳は禁止となった。
上流からは流木が流れ来るのでそれを拾う船頭さんも多かった。いつもダム上流では、多太線鉄橋上流で渡る親子の船頭の和船が、洪水時にその下流で渡りはじめ、流されゲートをくぐった。息子はくぐる前に木材につかまっていてダム下で浮きあがた。親の頭が見えたがその後見つからなかった。子は生還したが、親はいつもの下流で見つかった。雨の中サイレンが鳴り渡っていた。

続、今渡ダムのキーワードで検索したらhpがいっぱいです。工場プラントやダムの拝観が人気のようです。その中に今渡ダムのインクラインや魚道の疑問点が問われていましたので追記します。
インクラインは鋼製の越流ゲートのある幅の広い木材流しの越流水路の両側にコンクリートの擁壁があってそこに鋼製レールと鋼製ワイヤ通しが鋼製滑車付きでありました。船を乗せる台車は鋼製で車輪と、引き揚げおろしのワイヤ止めがありました。遠景で船頭が材木を積んだ和船に乗っていたのを見ました。客船は見ませんでした。昭和30年代は、子供のころは、ダムの隅々を見て回って、ゲートの上端、下端、両端、インクラインの台車の乗り降り、ダムの天端管理廊、魚道の遡上状況を観察した。

続 1993年3月21日 ハムの魚道ウオッチング 魚道と無線 創刊号で p11 今渡ダム 魚道 の写真 p14 今渡 インクラインの写真があったので、jm3gvh検索「鳥瞰図に水道アンテナ低山を見るの水道の項目に記載しました。同じことを記載していた。

今渡ダム 断片的な記憶
 補修工事用クレーンと鉄塔
 終戦前後の子供は、夏休みに今渡ダム右岸した天然プールで泳いだが、当時は贅沢な海水パンツはなかったので幼児は素裸、子供は、三角布と紐のふんどし(俗称 金吊)をつけていた。
 右岸、左岸には建設当時のワイヤ吊りクレーンの基礎コンクリートの塊とL型鋼が残っていた記憶です。その後、クレーン鉄塔まで組みあがってワイヤが張られ、ダムの鋼製水門の止水ゴム板、塗装がされた。ダムコンクリート柱の水門上流側に仮締め切りの鋼製角落し溝があり、クレーンで角落しを吊り上げ、溝に落として、水門の上流側の塗装をされた。
 20号水門を使って下流だけの締め切りで美濃川合発電所ができたか、推理しましたが、航空写真で見ると、左岸今渡発電所と同じように、導水水路が見られ、水門も2門見られる。塵埃取のスクリーンもありそうだ。砂溜め排砂施設も、もしかして魚道もあろうかと推察しました。
 本格的に上流で仮締め切り工事がなされたようだ。jm3gvh

今年は、ライン下りは太田からの鳥瞰図ポスターを描いた吉田初三郎の生誕130年で「吉田初三郎 生誕130年」のキーワードでたくさんするのでびっくり、全国の記念展が見られそう。京都府総合資料館は印刷物が273点ほど閲覧でき、記念展もある。

昨年は、名古屋市博物館で吉田初三郎鳥瞰図の収集家小川文太郎氏名古屋初三郎会 初名会の収集品中心の展示会があり、関西電力 大同電力の木曽川水系図、阪神水道鳥瞰図、男山ケーブル、ライン下りは太田から、処女作品京阪電車ご案内等貴重な作品が展示されcdにされた。
せっかくの展示で、たくさんの拝観者がこられるように、微力ながらアマチュア無線7mhzssbで全国に名古屋市博物館吉田初三郎没後60年と展示記念運用をし、愛知県下の各局にメールでの案内を行ったら、拝観してきましたとのメールやアマチュア無線でのお知らせをいただいた。今年も引き続き吉田初三郎生誕130周年で、アマチュア無線7mhzssbで全国に記念運用している。近畿では430mhzfmで記念運用している。コールサインはjm3gvhです。

ハム界では昨年、アワード賞でふるさと富士山があった。大阪府かにも3角点のある小富士山、交野山は別名河内富士山といわれているので、対象のふるさと富士山として期待しましたが、残念ながら全国の都道府県にたくさんふるさと富士山が選ばれたが、大阪は皆無で残念でした。それに比較して岐阜県美濃加茂市では米田富士山、山之上富士山、近くでは、御嵩富士山等木曽川水系のふるさと富士山がてんこ盛りでした。7mhzssbで全国のふるさと富士のある市町村と交信しました。

今年は、全国民謡アワードが始まったので、近畿から参加しました。特別カード25種類、都道府県カード近畿から滋賀県5曲、京都府6曲、奈良県6曲、和歌山県6曲、兵庫県6曲そして大阪府は7曲の種類の歌詞が記載れたカード(交信証)を送っております。7mhzssbで全国に呼び出しをかけると、たくさん呼ばれ50局に50枚のカードを発行しました。静岡県、岐阜県、愛知県、三重県、特別カードをいただくようにしました。つまり木曽川水系はほとんど交信しました。木曽節、郡上節とうとうです。

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