「摺針峠」を越えて「鳥居本宿」へ。
「摺針峠」への道は名神高速の横を徐々に上る。
振り返れば「伊吹山」が大きく見えるはずだが、今日は天気は良いものの春霞か?ボンヤリ曇り、うっすら見えるだけだ。
山道に入り、野生の猿数十匹の群れに遭遇!一斉に猿は山の中に逃げ込むが、一匹だけ奇声を発し、こちらを凝視している。襲われるかもと正直ビビった。ボス猿か?早足でこちらもその場を後にする。
「摺針峠」の道標が立ち、右折し峠に向かう。
また雪の量が増えてきた。こんな山あいにも集落があり、驚きながら上る。
「摺針峠」の上からは琵琶湖が見渡せるとの事だが、積雪が多く地道はこれ以上進めない。
木立の間から友人の勤めていたフジテックのタワーが見える。
「中山道」は正しくはこちらのようだが、選択の自信は無く、車道を進む。
麓まで下ると、「磨針峠望湖堂」と書かれた立派な石標が立つ。
旅人のモニュメントが立ち、「鳥居本宿」に入る。松並木も復元されている。
皇女和宮降嫁の際にも小休所として利用されたそうだ。宝暦年間に建てられた鳥居本名産の「赤玉神教丸本舗」の大店舗。
本陣跡の寺村家には昭和初めに建てられた洋館が建つ。
「鳥居本(とりいもと)宿」は江戸から数えて63番目、手前の「番場宿」からは4.0km、累計で462.9kmに位置する。街道の面影を色濃く残し、見どころの多い宿場だ。
クラッシックな近江鉄道「鳥居本駅」。ここまでの予定だったが、まだ3時、次の「高宮宿」まで行くことにする。
「鳥居本宿」も終わりに差し掛かったあたりに彦根道との分岐があり、道標が立つ。彦根道とは朝鮮人街道とも呼ばれ、彦根を経由して野洲で再び中山道と合流する。家康が関ヶ原合戦勝利の後、凱旋行進した道だそうだ。
見どころ多い「鳥居本宿」を後にし、「高宮宿」に向かう。
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