東海道と合流する「草津宿」へ。
「守山宿」を出て、間もなく滋賀県内で唯一残る「今宿の一里塚」がある。
歩を進めると栗東市に入り、こんもりとした森がある。歴史ある「大宝神社」だ。
鳥居の左手奥に「へそむらのまだ麦青し春のくれ」と詠まれた「芭蕉の句碑」がある。
このあたりは、この俳句にもある「へそむら」と言う地名だ。字は綣=「糸へんに巻」、これで「へそ」と読むようで、今も地名が残っている。
JRをくぐり、草津市に入り、間もなく「伊砂砂神社」の前を進めば「草津宿」は近い。
「覚善寺」の前に東海道と中山道の追分を示す「大路井の道標」が立つ。商店街アーケードを進み、天井川の「旧草津川」の下を抜ける。
トンネルを抜けた所が東海道と中山道の追分すなわち合流点となり、中山道は厳密にはここまでと言う事だ。追分には立派な道標が立つ。
川の堤防からこれから進む「草津宿」を見る。トンネル横には復元された「高札場」が立つ。
国の史跡に指定され、公開される立派な「草津宿本陣」。
「草津宿」は中山道では68番目、東海道では52番目の宿場町となる。中山道としては手前の「守山宿」からは5.9km、累計では506kmに位置する。
「脇本陣跡」は草津市観光物産館となり、食堂や物産店となっている。
街道のすがたを色々な角度から公開する「草津宿街道交流館」。観光施設は整備されているが、逆に往時の面影はあまり感じられない。
江戸城築城の祖として太田道灌を祖先に持つ太田家は海道の動静を見守る関守を務め草津行政の中心となっていた。現在は「道灌」ブランドの造り酒屋となっている。
「立木神社」の前を抜ければ、「草津宿」ともお別れだ。
ここまでの中山道は醒ヶ井宿の観光案内所でもらった近江歴史回廊発行の「近江中山道中絵巻」に助けられた。今は廃刊になっているようだ。
右は脇本陣で発行してくれる「分岐の証」。
「中山道」はここまで草津宿から先は東海道となり、すでに歩いているがとりあえず進むこととする。
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