京発ち守山泊まり、中山道最後の「守山宿」
三寒四温とまだまだ寒い日も多いが、天気は良さそうなので朝鮮人街道を進んで来た学生時代の友人と野洲からの道を歩いた。JR野洲駅で下車し、朝鮮人街道の分岐がスタートだ。
歩き出して間もなく、鎌倉時代より旅行く人の道中を守った「背くらべ地蔵」が並ぶ。
近くの「蓮照寺」境内に「八幡道」との分岐道標が保存されていた。
野洲川からは広重も描いた近江富士「三上山」の美しい姿を見ることができる。
小川が流れる「吉身」そして東海道「石部宿」への分岐道標を過ぎれば「守山宿」は近い。
街並み保存に力を注ぐ「守山宿」に入る。
本陣跡には井戸跡も残る。
「守山宿」は江戸から数えて67番目、中山道としては最後の宿場となる。京からは「京発ち守山泊まり」が一般的で賑わったようだ。手前の武佐宿からは13.7kmと長く、累計距離は500.1kmとついに500kmを越える。
「中山道街道文化交流館」前には今日まで開催の「ひなめぐり」のひな人形が並ぶ。
守山宿紹介音声ガイドにはエコな手動発電装置が組み入れられている。古い道標が立つ。
「比叡山東門院守山寺」。平安時代に比叡山の東門として山を守るために桓武天皇により建立されたそうだ。守山と言う地名の由来でもある。
境内のデカい蛙。患部を撫でれば治るとか。向かいの呉服店主が寄贈したそうだ。
「土橋」を渡れば、「守山宿」ともお別れだ。
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