東海道を行く

東海道を行く <索引>

平成17年(2005年)5月8日我が家の前の道(旧東海道)をスタートし、ほぼ2年かかって平成19年3月24日京都三条大橋に到着した。その間、のべ27日間、494kmを踏破した記録を以前のブログ「どた3は永遠に」に掲載してきた。この度友人の支援を受け、ここに復元することが出来た。

日本橋 H19.1.28 日本橋から品川へ
1 品川宿 H17.9.25 宿場まつり「品川宿」
H17.9.25 迫力満点「火渡り荒行」
H19.3.18 「品川宿」から多摩川渡り「川崎宿」へ
2 川崎宿 H17.6.26 八丁畷
H17.5.8 市場村発
3 神奈川宿      H17.5.8 保土ヶ谷宿まで  
4 保土ヶ谷宿 H17.5.8
H17.5.22 戸塚宿を行く
5 戸塚宿 H17.5.29 戸塚から遊行寺へ
6 藤沢宿 H17.7.17 藤沢宿から茅ヶ崎、平塚宿へ
H17.7.17 でかまん
7 平塚宿 H17.7.17 平塚宿から大磯宿へ
8 大磯宿 H17.7.17 大磯の夏祭り
H17.7.17 二宮から国府津まで
H17.10.9 小田原に向かう!
9 小田原宿 H17.10.9 相州小田原城
H17.10.9 想い出を売る駄菓子屋さん
H17.11.5 箱根八里・東坂を行く
10 箱根宿
H17.11.6 箱根八里・西坂を下る
11 三島宿 H17.11.6 蒲焼割烹・元祖「うなよし」
12 沼津宿 H17.12.17 三島宿から沼津宿、原宿へ
13 原宿 H17.12.17 原宿から吉原宿そしてJR富士駅へ
14 吉原宿
15 蒲原宿 H18.2.4 富士から興津宿へ
16 由比宿 H18.2.4 桜えびのかき揚げ定食
17 興津宿 H18.2.5 興津宿から江尻宿そして清水港へ
18 江尻宿 H18.2.5 「花宴」
19 府中宿 H18.3.21 江尻宿・府中宿から安倍川橋へ
H18.3.21 家康ゆかりの駿府公園
H18.3.21 街道名物・安倍川餅『石部屋』
20 丸子宿 H18.4.29 安倍川を越えて丸子宿へ
H18.4.29 宇津ノ谷集落から峠越え
H18.4.29 風情にマッチした蕎麦処『きしがみ』
21 岡部宿 H18.4.29 山あいの静かな集落『岡部宿』  
22 藤枝宿 H18.4.29 サッカーと藤のまち『藤枝宿』
H18.4.29 藤枝名物・サッカー最中
23 島田宿 H18.4.30 『島田宿』から大井川川越遺跡へ
H18.4.30 「越すに越されぬ」大井川
24 金谷宿 H18.4.30 SLで人気絶頂「大井川鉄道」
H18.4.30 東西を難所に囲まれた『金谷宿』
H18.4.30 小夜の中山を越える
25 日坂宿 H18.4.30 小さな宿場町『日坂宿』から掛川へ
26 掛川宿 H18.10.21 「功名が辻」掛川宿から袋井へ
27 袋井宿 H18.10.21 東海道どまん中・袋井宿から見付宿へ
28 見附宿 H18.10.21 見附宿をから天竜川を越え、浜松へ
29 浜松宿 H18.11.4 政令都市へ発展を遂げる「浜松宿」から西へ
30 舞坂宿 H18.11.4 浜名湖を控えた「舞坂宿」
H18.11.4 岐佐神社例大祭で賑わう「舞阪宿」
31 新居宿 H18.11.4 関所で賑わった「新居宿」から浜名旧街道へ
32 白須賀宿 H18.11.4 景勝・潮見坂から「白須賀宿」へ
33 二川宿 H18.11.4 三河最初の「二川宿」から豊橋へ
34 吉田宿 H18.11.18 「吉田宿」から豊橋を越える
35 御油宿 H18.11.18 昔の面影を色濃く残す「御油宿」へ
36 赤坂宿 H18.11.18 旅籠「大橋屋」で賑わった「赤坂宿」
37 藤川宿 H18.11.18 本宿村から「藤川宿」へ向かう
38 岡崎宿 H18.11.18 家康生誕の「岡崎宿」へ
H18.12.2 初冬の岡崎城
H18.12.2 岡崎宿から矢作川を渡る
39 池鯉鮒宿 H18.12.2 松並木を抜け池鯉鮒宿へ
40 鳴海宿 H18.12.2 桶狭間から絞り染めの有松、鳴海宿へ
41 宮宿 H18.12.6 七里の渡し「宮宿」へ
42 桑名宿          H19.2.10 七里の渡し「桑名宿」から「四日市宿」へ
43 四日市宿  
44 石薬師宿          H19.2.10 石薬師宿から庄野宿へ
45 庄野宿
46 亀山宿 H19.2.11 城下町「亀山宿」へ
47 関宿 H19.2.11 往時の面影を色濃く残す「関宿」へ
48 坂下宿 H19.2.11 鈴鹿峠を越え「土山宿」へ
49 土山宿 H19.3.3 さりげなく整備された「土山宿」
H19.3.3 東海道ドリブル横断
50 水口宿 H19.3.3 50番目の宿場町「水口宿」
H19.3.3 家光の築いた「水口城」
51 石部宿 H19.3.3 石部宿から六地蔵へ
52 草津宿 H19.3.4 中山道との追分「草津宿」
H19.3.4 比叡を眺め瀬田の唐橋へ
53 大津宿 H19.3.24 膳所から大津宿へ
H19.3.24 桜の蕾もまだ固い静寂のインクライン
三条大橋 H19.3.24 ついに京三条大橋ゴール!!

ついに京三条大橋ゴール!! [2007/3/24 Sat.]

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逢坂山を越えれば、東京都をスタートし、7都府県目になる京都府に入る。長かった東海道の旅も残り僅か、心配された雨もほとんど影響ない。ゴール目指して最後の一踏ん張りだ。

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坂を上り始めて間もなく右手に蝉丸神社下社がある。歌人蝉丸を祀っている。神社に入るには京阪電車の踏み切りを渡らねばならない。タイムスリップしたかのような静けさだ。

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境内には、小倉百人一首でも有名な蝉丸が詠んだ「これやこの行くも帰るも別れては知るも知らぬもあふ坂の関」の碑があった。右は入口に立つ蝉丸宮の常夜燈。

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1号線と別れ、161号線を進むと蝉丸神社上社があった。さらに進み名神高速の下を抜け程なく峠を上りきり、逢坂の関跡碑と常夜燈が立ち並ぶ。

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少し下り、旧道を右折し間もなく、日本一うなぎ「かねよ」の前を抜ける。鰻料理で有名な老舗のようだ。

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その先には蝉丸神社分社があった。右京三条と刻まれた石標を見つけ、歩を進める。

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広重の大津宿では名物「走井餅」を商う茶屋が描かれている。ついに雨が落ちてきたが、国道に合流し、元祖走井餅本家の石碑や今も走井餅を扱う「月心寺」の前を下る。

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また名神高速の下を抜け、国道から左折すると直ぐに追分の碑があった。伏見道との分岐で、大坂へ直接向かう人はこの道を進んだとの事。右は車石で、牛車用の轍を石に刻み敷設したもの。

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歩を進めると山科も近い。西行法師建立と言われる六地蔵があった。京に入り込む悪霊を封じるためで、こじんまりとした六角堂で、中からは読経が聞こえた。

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山科駅近くで昼食をとり、歩を進める。11時頃から小雨がぱらついていたが、昼食をとる間に雨も止んだ。この辺り古い石標も多い。

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又も国道と合流し、大化の改新で有名な天智天皇陵前を抜け、進む。

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古い車石が壁面に保存されている。右は琵琶湖疏水、インクラインに通じるトンネル。独特のレンガ造りだ。インクライン散策は別掲とした。

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蹴上の都ホテル前を通る。今は外資系に売却され、改修工事が進んでいるようだ。

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三条通りを進み、白川を越えると三条大橋も間近だ。

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三条大橋の手前に高山彦九郎(右近)像がある。向いている方向は御所とか。

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今日の行程は約16km、大して雨に降られる事も無く、午後2時40分7人揃って、ついに三条大橋ゴール。橋上から鴨川下流を眺める。

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三条大橋は天正18年(1590)秀吉によって造られたとか。現在はもちろんコンクリート製だがねぎ坊主型の擬宝珠など当時の面影を十分とどめている。

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三条大橋独特のネギ坊主型擬宝珠横で記念撮影。舞妓さんは観光客に記念撮影用の貸衣装をPRするためのモデルさんのようだ。

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渡り終えた西側に立つ弥次喜多像の前で同行してくれた7名との記念撮影。総行程492kmを約2年間延べ25日間かけてのゴールだ。写真の学生時代の
どた3仲間や職場の同僚や青木さんご兄弟そしてこのブログなどに支えられてのゴールだ。何事にも熱し易く醒め易いこの私にしては良くやったものだ。自分で自分を誉めてあげたい。

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皆さんと大橋近くの珉珉で餃子他中華を食べながら乾杯!記念に作った手ぬぐいの前でもう一度記念撮影だ。

桜の蕾もまだ固い静寂のインクライン [2007/3/24 Sat.]

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三条大橋を目指す手前、蹴上付近でインクライン軌道跡に立ち寄った。後2週間もすれば桜満開になり、多くの人々で賑わう事になろうが、今日は小雨まじりで桜の蕾もまだ固く訪れる人もいない。

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琵琶湖疏水のトンネルも小雨に煙り、一層静寂さを演出している。

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船を積んで運んだ台車も復元されている。

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我々以外誰もいない。こんなインクライン見た事ないとメンバーも驚く静けさだ。

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疎水の水を利用した日本初の赤レンガ造りの水力発電所跡。 

膳所から大津宿へ [2007/3/24 Sat.]

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学生時代の仲間5人が京三条大橋のゴールに同行してくれることになった。お嬢さん一人も加え総勢7名だ。5時起床し、始発新幹線で京都へ、そして石山駅に8時40分集合した。あいにくの天候で、今にも雨が落ちてきそうな曇天の中出発した。3月に入っての冷え込みで桜はまだ蕾で、桜花爛漫のゴールは果たせないのは残念だ。

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膳所は関ヶ原合戦後、徳川家が膳所城を築き、本多家の居城となり発展したとか。町内の通りはやはり鍵型に何度も折れ曲がる。石山を出て、程なく城下町の南の入口にあたる勢多総門跡の碑があった。

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町内には神社が多い。篠津神社の表門は膳所城の城門を移設し、重要文化財に指定されている。

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旧東海道の景観を守るため、歯医者さんもこのような造りだ。

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通りには所々往時を偲ばせるような建物が軒を連ねる。

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膳所神社。同様に膳所城の城門を移設し、表門としている。やはり重要文化財に指定されている。正門の横にくぐり戸があるのが特徴だ。

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和田神社。境内には関ヶ原で捕らえた石田三成を一時縛り付けたと言われる大銀杏がある。

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膳所城下町の南の出入口にあたる北惣門跡。

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程なく義仲寺に到着。当地近くで壮絶な最期を遂げた木曽義仲や、義仲を偲んで何度も訪れたと言われる芭蕉の墓があり、所狭しと句碑が立ち並ぶ質素なたたずまいだ。

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左は芭蕉の代表的な俳句の一つ「古池や蛙とびこむ水の音」の句碑。右は芭蕉の弟子が詠んだと言われる「木曽殿と背中合わせの寒さかな」の句碑。

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左は木曽義仲の墓。右は松尾芭蕉の墓。大坂で亡くなった後、遺言で木曽殿の横に葬られたとか。義仲の愛妾巴御前の巴塚もある。

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境内の静かなたたずまい。文科省の指定史跡となっている。

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京阪電車の踏切を渡るといよいよ大津宿に入る。所々に往時を偲ばせる建物が立ち並ぶが、他には何も残っていない。

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道端に「此附近露國皇太子殿下遭難之地」と刻まれた石碑が立っていた。明治24年の警備の警官がロシアの皇太子を斬り付けた大津事件の碑だ。右はかつて大津宿の中心であったと言われる札の辻の碑。ここからまた1号線に合流だ。

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この辺りは京阪電車浜大津線が路面を走っている。

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いよいよ京への最後の上り、逢坂山に向かう。

「品川宿」から多摩川渡り「川崎宿」へ [2007/3/18 Sun.]

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24日のゴール前にやらねばならない事がある。それは一番身近な会社のある「品川宿」青物横丁から我が家の近所「川崎宿」までの10km弱は夜間に「一日万歩」で何度も途中までは歩いたものの、昼間はまだ歩いておらず、晴天に恵まれた今日歩くこととした。午前中、洗濯等を済ませ、青物横丁駅着は午前11:30。さあ!スタートだ。
 写真は多摩川にかかる新六郷橋から下流を望む。

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青物横丁商店街には先日から新しい街路灯がお目見え。高級感溢れるクラシックデザインだ。中央部には東海道品川宿の名も刻まれている。

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続く鮫洲商店街を進むと「蕎麦処 立会川吉田家」がある。安政3年(1856)創業の老舗で今も美味しいと評判の店だ。

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立会川駅と分岐を過ぎると浜川橋がある。通称「泪橋」と呼ばれ、この先鈴ヶ森刑場に向かう罪人と肉親との最後の別れの場所であったようだ。

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しばらく直進すると、国道15号との合流点の手前の狭い敷地に石碑が所狭しと立ち並んでいる。鈴ヶ森刑場跡だ。八百屋お七、白井権八らもここで処刑されたとか。気のせいかあまり長居はしたくない空気が漂っている。

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国道と合流後すぐにあざらし館が人気の品川水族館があった。区民公園の敷地内だが、品川区には違いないが、大森にあったとは知らなかった。
 さて皆さん!品川駅は品川区にはなく港区にあるって知ってます?京急に乗ると一つ目の駅が北品川駅です。どう見ても南なんですがね。

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京急平和島駅の手前を斜め左に入ると旧道が商店街となり、東海道の雰囲気を残している。しかし雰囲気が少し違う。10台を越える消防自動車、パトカーが道狭しと並んでいる。しかしどこが火事だったかわからないが、ノンビリムードでもう鎮火した後のようだ。帰ってニュースを見るとマンション8階から出火し、2人怪我したとか。

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東海道の雰囲気を残すのは大田区内ではこのあたりミハラ通り商店街だけだ。

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また国道と合流し、歩を進めると、右手に「梅屋敷公園」がある。当時和中散売薬所があり、その名の通り庭園の梅の花が綺麗であったとか。公園内には「日本橋まで三里十八丁」の碑があった。

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その先、京急蒲田駅の先に羽田線の踏切がある。箱根駅伝でもランナーが通過待ちしている光景が報道される渋滞で有名な場所だ。今、立体化工事が進められており、渋滞緩和する日も近いであろう。

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六郷橋の手前左に「六郷神社」がある。平安時代から続く由緒ある神社で六郷一円の鎮守だ。

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多摩川のたもとに「北野神社」があった。別名「止め神社」と言うらしい。多くの逸話が残る由緒ある神社のようだ。境内には六郷の渡しの木柱碑が移設保存されている。

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多摩川の堤防から眺めると、河川敷はゴルフの練習場や野球グランド、テニスコートなどが並び、晴天のもと多くの人々で大賑わいだ。遠くに見えるのは京浜急行の鉄橋と川崎のビル群だ。

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新六郷橋を渡ると、橋には渡し舟をモチーフしたモニュメントが。

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川崎宿は案内板が良く整備されている。

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川崎宿は六郷の渡しを控えた宿場町として栄えたようだ。川崎の中心部に近く、今では整備された案内板や石碑が残るのみだ。

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川崎の繁華街「銀柳会商店街」の一本裏通り「砂子通り」が宿場の中心であったようだ。今日はアジアン・フェスタが開催され、異国情緒たっぷり、多くの人々で賑わっていた。

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2時過ぎに京急川崎駅に到着。今日からスタートしたPASMOカード、早速手続きをして、遅めの昼食をとり帰路についた。
 これで、正真正銘後は24日の石山~京三条大橋を残すのみとなった。

比叡を眺め瀬田の唐橋へ [2007/3/4 Sun.]

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53番目最後の宿場町大津宿に向かう。写真は近江八景「瀬田の夕照」でも有名な瀬田の唐橋。日本三古橋の一つで瀬田川に架かり、古くから軍事・交通の要衝であった。

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古い落ち着いた街並が続く。

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「右やばせ道 これより二十五丁大津渡船」と記された矢橋道標。右は野路の玉川跡。今も泉が湧き、公園として整備されている。

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誰が作ったのか?手作りの木製常夜燈が標識として設置されている。右は池に月が落ちる程美しいと言われた東海道立場跡石碑。今も月輪池は残るが、単なるため池だ。

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一里山の住宅街のなだらかな坂を登ると一里塚跡がある。

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静かな住宅街を抜け、国道と合流する。瀬田の唐橋も近い。瀬田名物たにしの姿をしたニッキ飴の「たにし飴」や「でっち羊羹」を販売する老舗があった。

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近江一の宮といわれ、長い歴史と由緒を持つ全国屈指の古社で祭神に日本武尊を祀る建部大社。

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瀬田の唐橋から琵琶湖側を望む。

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いつの間にか比叡の山々も間近に見える。瀬田の唐橋の欄干から望む。

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偶然ではあるが、今日はびわ湖毎日マラソンが開催される。皇子山陸上競技場をスタートし、こちらへ来るのはいつ頃か?放送局のスタッフやのぼりや小旗を持ったファンが続々と集まってきている。

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ついに懐かしい京阪電車とも面会だ。京三条大橋が近いことを実感する。

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時間は早朝に出発したためまだ11時で、充分に三条大橋まで行ける時間だが、最終日仲間たちと手をつないでのゴールを果たすには15-6kmの距離は残しておこう!今日は3月初めとは信じられないような好天だ。春を通り越して夏になったようだ。20度を越えていたのでは。石山駅から京都に戻り、2時半頃帰宅。洗濯を十分する時間あり。今日は25,189歩といつもの半分。さあ!これで後は3月24日、大津宿を越えて京に入る。

中山道との追分「草津宿」 [2007/3/4 Sun.]

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いよいよ52番目の宿場町草津宿に向かう。中山道との分岐点で大いに栄えたと言う。桜の花が開花するのでは思うほどの好天に恵まれ歩を進めた。写真は中山道と東海道が分岐する追分。右手に立派な道標が立ち、中山道へは直進、天井川になった草津川のトンネルをくぐり進む。

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草津駅から歩いて5分ほどにあるビジネスホテルひばりに一泊。ツインのシングルユースで部屋もそこそこで素泊まり5400円とリーズナブル。モーニングサービスも210円。

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草津駅前のペデストリアンデッキには草津宿が復元されている。

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昨日の終着点・手原駅を早朝7:20好天の元スタートする。手原駅前には東経136度が通る町のモニュメントがある。

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線路に平行に進み、上鈎のあたりで左折する。九代将軍足利義尚・鈎の陣所ゆかりの地の碑があり、周辺も整備されている。

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すずめの茶屋跡に立つ石碑と江戸から118里「目川の一里塚跡」碑。このあたりはひょうたんの産地で目川ひょうたんの里と書かれている。

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目川は田楽発祥の地でも有名。石部宿からはかなり離れているが、広重の浮世絵にも名物「目川菜飯田楽」の元伊勢屋が描かれている。京伊勢屋と二軒あった。

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新幹線、国道1号線を越えて左へ進み、草津川を渡る。堤防沿いの道から左へ降りる角に常夜燈があった。追分道標と同年(1816)に立てられ、左東海道 いせ道と書かれている。

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そのまま直進するとT字路に出る。中山道との合流点だ。そこに追分道標がある。文化13年(1816)諸国定飛脚が寄進したとか。中山道へは右に草津川の天井川のトンネルをくぐり進む。

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道標の向かえには高札場跡も復元されている。

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その先右手に最大級と言われる田中本陣が公開されている。座敷や湯殿の復元や浅野内匠頭や徳川慶喜が名を連ねる宿帳も公開されているとか。朝早過ぎてまだ閉まっていた。

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脇本陣跡は土産物屋となっている。

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草津宿街道交流館と太田道灌ゆかりの造り酒屋が続く。

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商店街を抜けると草津宿の氏神の立木神社に出る。

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立木神社の境内には樹齢400年のウラジロガシや延宝8年(1680)に立てられたと言う県内最古と言われる旧追分道標が保存されている。

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その先、矢倉川にかかる矢倉橋を渡り、最後の宿場町大津宿に向かう。

家光の築いた「水口城」 [2007/3/3 Sat.]

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宿場の中心部を過ぎ、近江鉄道の踏切を渡り、左折をし、水口城跡を見学することとした。以前も城下町岡崎で二十七曲がりに惑わされ、とんでもない方向に歩を進め、大きく時間をロスしたが、又も城下町水口で惑わされ、東海道へ戻るのに小一時間も迷ってしまった。

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水口は宿場町であり、城下町である。もともとは豊臣秀吉の家臣、中村一氏が野洲川を見下ろす大岡山に築いた岡山城の城下町として発展したようだ。しかし関ヶ原合戦の西軍の敗北で落城し、水口は幕府の直轄地となり、宿駅として整備されることとなったようだ。写真の水口城跡とは別の場所で水口古城と呼ばれ、今は石垣が残るのみ。

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写真の水口城はその後、寛永11年(1634)3代将軍徳川家光の上洛時の宿館として築かれ、再び城下町として発展した。別名碧水城と呼ばれ、作事奉行として小堀遠州も名を連ねる。

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城跡は水口高校の敷地であるが、平成になって隅櫓が復元され、今では資料館として開放されている。

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本丸跡は石垣が残るのみだが、写真のように往時を偲ばせる美しい景観だ。
 
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城跡の近くに、旧水口町庁舎がある。そこに平成16年10月甲賀市誕生の記念碑があった。水口町・土山町など5町が合併し、県南の広大な面積を占めている。滋賀県はここ数年で積極的に市町村合併が進められ、約50あった市町村が現在は13市13町となっている。甲賀市を初め湖南市、東近江市、米原市など聞きなれない市も多い。

東海道ドリブル横断 [2007/3/3 Sat.]

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土山宿から水口宿へ向かう途中、寺前集落の辺りでボールをつきながら歩く青年とすれ違った。振り向くと背中に大きな垂れ幕が!京都~東京ドリブル横断中とある。思わず声を掛け、話を聞き、ついでに写真をお願いした。学生さんか?京都から二日目、バスケットボールをドリブルしながら東京へ向かうそうだ。面白い事を考え付く人もいるものだ。学生時代の想い出か?しかし箱根など山道はどうするのかな?是非、踏破して欲しいものだ。

石部宿から六地蔵へ [2007/3/3 Sat.]

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水口宿から51番目の石部宿までは約14km。51と言う数字が残り僅かを実感できる。滋賀県内の旧道はほとんど国道とは離れており、街並も落ち着いた雰囲気でとても歩きやすい。水口でロスした一時間がもったいない。
写真は白壁造りの家並みなど往時を偲ばせる街並が続く石部宿。

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JR三雲駅前近くで遅めの昼食をとり、歩を進める。JR草津線沿いを直進する。途中2ヶ所、大沙川・由良谷川と滋賀県名物天井川のトンネルをくぐる。トンネルの上が川と言うのはやはり違和感がある。

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大沙川の堤防上に弘法杉があった。樹齢750年の大杉で、弘法大師がここで昼食を摂る際に使った杉箸が根付いたと言われている。

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街道歩きを堪能していると、落ち着いた雰囲気を醸し出す北島酒造の前に出た。文化2年(1805)創業の蔵元で、座右の銘酒「御代栄」が有名で、近江米と鈴鹿山系の湧き水で仕込まれた酒は絶品だとか。

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東の見付跡や吉姫神社前を通り石部宿に入る。高札場跡は公園整備されている。

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本陣跡は当地も明治天皇聖跡前にある。この明治天皇聖跡は今までに何十いや何百見てきたことか?明治天皇の行動の広さに驚かされる。時間的に閉店していたが、休憩所として復元された広重の浮世絵に描かれた田楽茶屋。

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土山宿はカラー舗装が道案内してくれたが、石部宿は写真の外灯が道案内だ。しかし少し安っぽい!もう少し金をかけてもらいたい気はする。一里塚跡を通り過ぎる。

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西の見付跡は綺麗に公園として整備されている。「京立ち石部泊まり」と言われ、京から江戸に向かう旅人には最初の宿となり、栄えたようだ。

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JR石部駅への分岐を過ぎ、歩を進める。しかしこの辺りは唯一道が荒れ、砂っぽい。左手に禿山が見えてきた。石部金山跡だ。金が採れた訳ではなく、銅や石灰を採掘し、江戸後期には灰山と言われたとか。
 「石部金吉」と言う言葉の語源はこの金山とか。飯盛女を置かない堅い宿場を揶揄した意味のようだ。

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石部宿に入る辺りから、近江富士が見え隠れする。宿を抜けるとはっきりと眼前に。近江富士、正式には三上山と言うが標高は432mしかない。富士山には遠く及ばないものの美しい姿は旅人への安らぎとなったであろう。

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先を急ぐため、線路沿いの下道を通り、間の宿「六地蔵」に入る。しかし夕方5時も回り、国宝六地蔵の門は閉ざされていた。

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六地蔵跡から旧「和中散本舗」を通る。和中散とは腹痛の漢方薬とか。家康が腹痛を起こした際に服用し、忽ち治った事から、腹の中を和らげる薬と言う意味で、名付け親とか。当時は旅人が列をなしていたようだ。続いて一里塚跡を通り過ぎる。

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6時前JR草津線手原駅に到着。今日はここまでとする。草津まで電車で行き、駅前のビジネスホテルで一泊とする。51,255歩今日も良く歩きました。

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