日本100名城

日本一の山城!紅葉の「高取山ハイク」

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いつもの山仲間5人で奈良県高市郡高取町にある日本三大山城の一つ「高取城址」の「高取山ハイク」に出かけた。

間に合うか心配した紅葉はまだ大丈夫だったが青空はあまり出ず、曇天に終始したのは残念だった。しかし見どころ多く満足できるハイクであった。

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【9:37】近鉄阿部野橋から吉野行急行に乗り、「壺阪山駅」に下車。我が家を出発してから2時間半あまり、やはり遠い!

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【9:48】出発準備を整えてさあ!出発だ。

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今日のコースは

壺阪山駅→土佐街道→大手筋→高取城址(高取山)→壺阪口→五百羅漢→壷阪寺→壺阪山駅

活動距離 11.3km(私は余分に歩き13km)、高低差 462m、コースタイム 4時間(真っすぐ歩けば)

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中世の面影を残す古い街並み「土佐街道」、くすりの町「高取町」に相応しい漢方薬店前を進む。

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呉服屋を改装した観光案内所「夢創館」で各種パンフレットをいただく。(月曜日は定休日)

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高取藩城下町の面影を残す元武家屋敷、筆頭家老「植村家長屋門」前を進む。

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【10:23】往時を偲びながらのんびり歩いていると土佐街道を抜け、正面に「高取山」が見えてきた。

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傍らには奈良産業大学が再現した「高取城」のCGが掲げられていた。あのあたりに本丸があったのか?と山を眺める。

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「高取城址」に向け道が細くなってきた。

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【10:46】元藩主「植村家」の菩提寺だった「宗泉寺」への分岐を進む。

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【10:47】幟が並び、山道に入る。

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立派な石碑が立つ。

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【10:50】曲がりくねった坂道が続く「七曲り」に入る。

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【11:02】あまりの急登が続くため石垣を運んだ人夫に一升加増したことから名づけられたという「一升坂」の長い登りが続く。

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【11:10】「岩屋不動」分岐に着き、立ち寄る事に。

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【11:13】「岩屋不動」に着くと石仏が三体並んでいた。

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【11:20】 大手筋に戻り、歩を進めると奇怪な像が現れた。「猿石」と呼ばれ、制作は7世紀と伝わる。「大手筋」と明日香村へ通じる「岡口門」の分岐にあり、郭内と城内の境目を示す結界石とした説もある。

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【11:22】「二ノ門跡」を過ぎ、いよいよ城内に入る。

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石垣が残るが所々崩壊し、注意喚起の標識が立つ。

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【11:32】「松ノ門跡」を進む。

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【11:34】「宇陀門跡」を過ぎ、紅葉が目立ち始める。

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【11:37】3つのルートが合流し、いよいよ「大手門跡」に到着する。

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大手門から中心部に入って行くとスケールの大きさに驚く。

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苔むした石垣と黄葉そして曇り空が往時を偲ばす雰囲気を醸し出す。

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【11:43】二の丸に入る。紅葉、黄葉がミックスし美しい!ここにはもっと日射しが欲しかった!

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高取城は南北朝時代に豪族越智氏が砦のような城を築いたのが始まりでその後1585年に豊臣秀長の重臣本多利久が城主となり、本格的な築城が進められ、江戸時代になり、植村氏が14代228年、高取藩主となり治めたそうだ。

日本三大山城の一つで日本100名城にも認定されている。

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【11:48】2時間かかってようやく本丸に到着する。

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本丸内に入ると 周囲の展望が開けた。南方向には吉野の山々から大台、大峰の山々がうっすらと見える。

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標高583.9m「高取山」の山頂表示を見つけた!

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続いて本丸内の最上部で三等三角点を発見!

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本丸から城内に広がる見事な紅葉を見渡す。

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【12:26】あちこち寄り道をしてきたと言うメンバーたちがようやく本丸到着。

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本丸石垣上の私!(Oさん撮影)

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【12:35】全員揃って昼食とする。

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【13:05】メンバーが寄り道して良かったと聞いた「国見櫓」に行ってみる事に!

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【13:09】 城内の北西に位置する「国見櫓」からは奈良盆地から遠く大阪平野が展望でき、眼下には大和三山や二上山が美しい。

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大手門に戻り、5人揃って記念の一枚。

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【13:31】大手門から左折し壺阪口から壷阪寺へ下山スタートする。

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快適な山道を歩く。

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「五百羅漢遊歩道」に入ると岩肌に多くの仏様が彫られていて驚く。

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いつの時代のものなのか?無数の石仏が次々と現れる。

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歴史を感じながら「五百羅漢道」を下る。

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【14:19】「五百羅漢道」入口に着き、一般道に合流する。

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【14:21】坂を下って行くと「壷阪寺」が見えてきた。

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美しい紅葉に包まれる「壷阪寺」を眺めながら歩を進める。

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眼下に大和平野が広がる。

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「壷阪寺」は西国三十三所観音霊場の第六番札所で正式には「南法華寺」と言う。西国三十三所を巡っていた2010年以来だ。時間も無いので参拝は諦め下山急ぐ。

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「壷阪寺」の旧参道がハイキング道となっている。

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【15:10】町内に入り、「壺阪観音霊験記」で知られる「お里沢市墓所」前を進む。

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【15:14】古い石碑が残る「土佐街道」に戻る。

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【15:25】ゴールも見えたので町家カフェ「noco noco」でゆっくり喉を潤す。

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【16:31】近鉄「壺阪山駅」にゴール!

初めての「高取山」だが予想以上の素晴らしい所で日本三大山城の一つであることも頷ける。竹田城址や小谷城址などいくつかの山城を訪ねたが間違いなく№1だ。あれだけの石垣を担ぎ上げた人夫に一升加増したのも当然であろう!ホント昔の人は偉かっただ。

他にも五百羅漢、壷阪寺、土佐街道など見どころも多く、紅葉も期待以上だった。2時間ほど山を歩いて登らないとたどり着けない所も良い!唯一残念だったことは日射しが少なかった事かな!?

桜まつりで賑わう「丸亀城」

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義父母が旧友に会いたいとの事でカミさんと四国・香川県に行って来た。ついでに観光をと「日本百名城」の一つ「丸亀城」へ向かった。

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好天に恵まれ、桜満開で「桜まつり」が開かれ、多くの観光客で賑わっていた。

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日本一の石垣と言われ、高い石垣がそびえる。

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石垣に桜がマッチする。

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標高66mの亀山に築かれた本丸には小さな天守閣が残る。

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本丸から桜の海に浮かぶように「讃岐富士」を見ることができる。

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先ほど渡ってきた瀬戸大橋など瀬戸内海を眺める。

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「三の丸庭園」からも「讃岐富士」を眺める。

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古城に桜が見事にマッチする美しいお城だ。

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内堀に架かる橋には行燈に「がんばろう!日本」のメッセージが。

初秋の史跡「丹波 篠山城跡」

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今週に入り、一気に秋の気配だ。澄み切った秋晴れの好天に誘われて、カミさんと久しぶりに隣町、丹波篠山までドライブした。

丹波名物栗や黒豆の枝豆はこれから収穫期を迎えるが、今年は猛暑の影響で不作だそうだ。まず篠山城址に向かった。

篠山城は江戸時代の初め1609年(慶長14年)家康の命を受け、松平康重により築城された。西国大名の天下普請により6ヶ月で完成したそうだ。

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外堀、内堀そして苔むす石垣が残り、国の史跡に指定されている。

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二の丸御殿の復元が進められ、2000年に復元された鉄門と大書院。

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本の丸の隅に一段高く天守台がある。しかし天守閣は幕府の了解が得られず建てられなかったそうだ。

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天守台からの眺め。右に見える山は 戦国時代八上城があった高城山。

Img_2349 本丸跡に建つ「青山神社」。松平家の後、明治まで六代にわたり篠山藩を統治した青山家を祀る。

史跡 篠山城址大書院

 

緑豊かな歴史とロマンの小諸城址「懐古園」

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小諸の町並みを散策後、小諸城址「懐古園」に向かう。「懐古園」は長野県内では松本城や昨年訪れた上田城等と共に「日本100名城」の一つになっている。
 この門は「三の門」で、本丸から数えて3番目の門だそうだ。

Photo_12 入園するにはまず料金所。園内散策のみだと300円、記念館等へも入館できる共通券は500円。

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美しい石垣の横を抜ける。

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黒門橋を渡り、本丸内に入る。

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本丸内右手にある「藤村記念館」。藤村は明治32年より6年間小諸に住み、「小諸義塾」なる学校の教師で、多くの有名な作品が生まれたようだ。当時の遺品が展示されている。

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右手奥には「千曲川旅情のうた」の藤村詩碑が立つ。「小諸なる古城のほとり 雲白く遊子悲しむ 緑なすはこべは萌えず 若草もしくによしなし ・・・・」まさにピッタリだ!

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水の手展望台から千曲川を望む。

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明治13年神社を祀り、「懐古園」と呼ぶようになったようだ。

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神社裏の天守閣跡。平安時代より付近に城はあったようだが、戦国時代武田信玄の命を受け、山本勘助が当地に築城したのが最初で、その後仙石家によって現在の小諸城が完成したようだ。この城の特徴は全国的にも珍しく城が城下町より低い穴城となっている。

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本丸跡入口に立つ懐古神社の鳥居。

Photo_21 藤村が教鞭をとった「小諸義塾記念館」が駅裏に建つ。

Photo_23 その前には昔懐かしい「惜別の歌」歌碑が立つ。

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鉄道により分断されているが、駅北に立つ「大手門」は「小諸城」の「四の門」にあたり、立派な建物で国の重要文化財に指定されている。

小諸城跡 懐古園

壮大なスケール 名城「松山城」

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三重巡回を終え、四国松山に向かう。午後時間が取れたので、「松山城」へ行ってみた。学生時代に来た記憶があるが、それ以来だ。
「松山城」は日本を代表する連立式平山城の一つ。賤ヶ岳七本槍の一人「加藤嘉明」が築城に着手し、1627年に完成した。その後、落雷で焼失したが幕末1854年に復興したと言う。天守が残る全国12城の一つで日本百名城に選定されている。姫路城と甲乙付けがたいスケールを有する。

Photo_3 かつては松山と言えば「坊ちゃん」が代名詞であったが、今や「坂の上の雲」に変わったようだ。ロープウェイ乗り場にも大きな看板が。

Photo_4山上へは徒歩、ロープウェイ、リフト三通りの手段がある。

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緩やかな坂道を上る。

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大天守と小天守が並ぶ。

Photo_7 築城当時は五重だったが地盤が弱いため、3年かけて三重に改築された大天守。

Photo_8 城内には当時の遺品や城史が掲示されている。

Photo_9比較的広い大天守最上段の間。

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櫓や門が整備され、大天守から見下ろす事が出来る。

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梅が咲く本丸を見下ろす。

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雨が降ったり止んだり変な天気だ。大天守からは360度の展望が開け、松山の街を見下ろす事ができる。

神在月 出雲の国松江のシンボル「松江城」

Photo_2   陰暦10月は日本中の神様が出雲大社に集まると言う。そのため神無月と呼ばれるが、ご当地出雲の国だけは神在月と呼ばれるとか。その出雲の国、島根県の県庁所在地、松江に約一年ぶりに訪れた。支店に出勤前にシンボル、松江城の周りをドライブした。

Photo_3 松江開府の祖堀尾吉晴が慶長16年(1611)築城した松江城は、千鳥が羽根を広げたように見える千鳥破風の屋根が見事で、別名「千鳥城」とも呼ばれるとか。日本で12ヵ所しかない江戸時代以前建造の天守閣を有する城郭の一つで国の指定重要文化財にもなり「日本100名城」にも選定されている。日本で6番目の古さ。
堀に囲まれ緑に溢れ、周囲の雰囲気は重厚な落ち着きを感じる。時間が無く中に入る時間は無いが天守閣からの展望も素晴らしいと聞く。市民の憩いの場として親しまれ、松江市のシンボルとなっている事は良くわかる。

Photo_4 二の丸に南櫓、中櫓、太鼓櫓と3つの櫓が復元されている。

松江城

Photo_5 松江城を取り囲む堀川を約50分かけて屋形船でゆっくり遊覧する「堀川めぐり」も人気を得ているようだ。

7_2 堀川のみならず宍道湖や中海に挟まれた松江は大阪や広島同様「水の都」と呼ばれる。朝日を浴びた堀川の眺望。

Photo_6 前日昼食をとったそば処「八雲庵」。堀川沿いにあり、近くには小泉八雲記念館や田部美術館、武家屋敷などが軒を連ねる。
武家屋敷を改装し、素晴らしい日本庭園を眺め、素朴な出雲そばを堪能できる。
八雲庵

今回はあまりに時間が無かったが、いつの日かゆっくりと松江の町を散策したいものだ。

真田父子が戦った名城「上田城址」

Photo_51 好天に恵まれ、帰りの新幹線にもまだ時間があったので「上田城址公園」に行ってみた。

財団法人日本城郭協会が平成18年に発表した「日本100名城」に「上田城」が選ばれている。これをきっかけに新シリーズ「日本100名城」を気長に訪ねてみよう。

Photo_52 上田駅から徒歩15分程、市役所前を抜け歩を進め石垣が残る城址公園に到着。

Photo_53 大手門、南櫓が復元されお出迎えだ。

Photo_54 「上田城」は天正11年(1583)真田昌幸により築城された。
「真田太平記」「真田十勇士」で有名な真田昌幸・幸村父子が二度に渡って徳川軍を退け、江戸時代も城下町の中心であったこの名城は現在上田市民の憩いの場として親しまれている。

写真は復元された大手門。

Photo_55 9月20日のNHK「天・地・人」でも関が原に向かう徳川秀忠軍を真田父子が上田城を守った史実を紹介していた。「平城」で二度もの実戦の歴史を持つ城は例が無いようだ。

Photo_57 城内は公園として市民に開放されているが、春には千本桜が古城に彩りを添え多くの花見客で賑わうようだ。

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城内本丸跡には真田父子を祀る真田神社がある。

Photo_60 城外への城兵の出入りにも不自由しなかったと伝えられる抜け穴があった「真田井戸」。

Photo_61 駐車場横に広がる公園からは復元した南櫓、西櫓が見渡せる。
このあたりは当時は千曲川の支流 尼ヶ淵川が流れ、自然の要塞となっていたようだ。よって別名「尼ヶ淵城」と呼ばれていたとの事。

Photo_62 駐車場横には真田十勇士の幟りが並ぶ。

Photo_63上田駅お城口には「真田幸村公騎馬像」が立つ。

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市内を歩くとマンホールの蓋にラーメンの名前に真田氏の家紋(旗印)六文銭があちこちに溢れている。

Photo_3 Photo_4 昼食をとったお蕎麦屋さん「琴笙庵」も真田十勇士の館と言われ、関連グッズも販売、メニューにも「六文銭セット」「霧隠そば」「三好そば」など当地における真田氏の存在の大きさが伺える。

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