中山道を行く

4年ぶりの大津宿へ(中山道最終章)

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西日本では桜の開花宣言もようやく出て、春本番の到来を感じる今日この頃だ。中山道の街道歩きにも区切りをつけるべく、石山からの道を進める事とした。
 石山からの道すじはちょうど4年前に東海道ゴールに向けて学生時代の友人たちが一緒に歩いてくれた想い出のコースだ。

膳所から大津宿へ(2007/3/24)

JR石山駅を10時前出発し、春の日差しを浴び、粟津の松を過ぎ歩を進める。

Dsc00942 ところどころ往時の面影を残す本多六万石の城下町膳所に入る。
 膳所城の北大手門を移築した「篠津神社」。

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木曽義仲と義仲を偲んだ松尾芭蕉が眠る「義仲寺(ぎちゅうじ)」。

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少し回り道をして、湖岸の「打出浜」に移設された「石津の常夜燈」に立ち寄る。遠くに「三上山(近江富士)」を望む。

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公園として開放され、陽光に誘われ、多くの市民が散歩する。バックには比叡山からまだ山頂付近に雪を被る比良山系を見ることができる。

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「大津宿」に入る。和菓子屋、簾屋など往時を偲ばす街並みが残る。

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「大津事件の石碑」前には多くの観光客が説明に聞き入る。その先大津市道路元標が立つ「札の辻」を左に曲がる。ここは北国海道(西近江路)との分岐だ。

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大津宿本陣跡。

「大津宿」は中山道では69番目、東海道では53番目と最後の宿場となる。琵琶湖舟運の要として栄えたようだ。手前の「草津宿」からは14.4km、中山道では累計520.4kmとなる。

 一昨年11月1日お江戸日本橋を出発し、京三条大橋までは後11.8km残るが、2年半延べ22日間で踏破したことになる。大津~三条大橋間は4年前の記録を参照願いたい。

ついに京三条大橋ゴール!!(2007/3/24)

 この後は、大津追分から京三条大橋に向かわず、伏見・淀・枚方・守口の4宿場を経て、大坂高麗橋に向かう大坂街道(京街道)を進むこととしたい。東海道は江戸・大坂間で「東海道五十七次」とも呼ばれていたようだ。

「瀬田の唐橋」を渡り、JR石山駅へ。

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「右 やばせ道」と書かれた矢倉立場に立つ道標と「野路一里塚跡碑」

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当然の事ながら各種標識を見ると「東海道」となった事を実感する。

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「教善寺」「新宮神社」と進む。

Dsc00205_2 復元された「野路の玉川跡」

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弁財天が祀られる「弁天池」

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いよいよ大津市に入る。アップダウンを繰り返しながら月の名所であった「月輪池」前の立場跡を進む。

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JR瀬田駅近くに「一里山の一里塚跡碑」が立つ。真新しい道標も立つ。

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近江八景の「瀬田の夕照」で知られる「瀬田の唐橋」に到着する。

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唐橋から琵琶湖側を見るとバックには真っ白な雪を被る比良の連山を見ることができる。

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唐橋から琵琶湖側の大パノラマ写真を見る。

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橋のたもとに立つ「常夜燈」と「日本の道100選」の証。次は「日本の道100選」行こうかな?

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石山駅前には真新しい「松尾芭蕉の像」が立っていた。

Dsc00254 まだ3時過ぎだが今日はJR石山駅までとする。歩行距離は20km足らず、万歩計は約27,000歩を示す。

近くで友人と喉を潤そうとするが、さすがにまだ早すぎた。京都へ出て焼き鳥屋で一杯やって帰路につく。

東海道と合流する「草津宿」へ。

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「守山宿」を出て、間もなく滋賀県内で唯一残る「今宿の一里塚」がある。

Dsc00119 小野篁作と伝えられる閻魔像を祀る「閻魔堂」。

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歩を進めると栗東市に入り、こんもりとした森がある。歴史ある「大宝神社」だ。

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鳥居の左手奥に「へそむらのまだ麦青し春のくれ」と詠まれた「芭蕉の句碑」がある。
このあたりは、この俳句にもある「へそむら」と言う地名だ。字は綣=「糸へんに巻」、これで「へそ」と読むようで、今も地名が残っている。

Dsc00136_2 JRをくぐり、草津市に入り、間もなく「伊砂砂神社」の前を進めば「草津宿」は近い。

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「覚善寺」の前に東海道と中山道の追分を示す「大路井の道標」が立つ。商店街アーケードを進み、天井川の「旧草津川」の下を抜ける。

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トンネルを抜けた所が東海道と中山道の追分すなわち合流点となり、中山道は厳密にはここまでと言う事だ。追分には立派な道標が立つ。

Dsc00154_2  旧草津川に上がって見れば、水は涸れていた。

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川の堤防からこれから進む「草津宿」を見る。トンネル横には復元された「高札場」が立つ。

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国の史跡に指定され、公開される立派な「草津宿本陣」。

「草津宿」は中山道では68番目、東海道では52番目の宿場町となる。中山道としては手前の「守山宿」からは5.9km、累計では506kmに位置する。

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「脇本陣跡」は草津市観光物産館となり、食堂や物産店となっている。

Dsc00180 観光案内や無料休憩所となる「くさつ夢本陣」。

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街道のすがたを色々な角度から公開する「草津宿街道交流館」。観光施設は整備されているが、逆に往時の面影はあまり感じられない。

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江戸城築城の祖として太田道灌を祖先に持つ太田家は海道の動静を見守る関守を務め草津行政の中心となっていた。現在は「道灌」ブランドの造り酒屋となっている。

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「立木神社」の前を抜ければ、「草津宿」ともお別れだ。

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ここまでの中山道は醒ヶ井宿の観光案内所でもらった近江歴史回廊発行の「近江中山道中絵巻」に助けられた。今は廃刊になっているようだ。
 右は脇本陣で発行してくれる「分岐の証」。

「中山道」はここまで草津宿から先は東海道となり、すでに歩いているがとりあえず進むこととする。

京発ち守山泊まり、中山道最後の「守山宿」

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三寒四温とまだまだ寒い日も多いが、天気は良さそうなので朝鮮人街道を進んで来た学生時代の友人と野洲からの道を歩いた。JR野洲駅で下車し、朝鮮人街道の分岐がスタートだ。

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歩き出して間もなく、鎌倉時代より旅行く人の道中を守った「背くらべ地蔵」が並ぶ。

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近くの「蓮照寺」境内に「八幡道」との分岐道標が保存されていた。

Dsc00018 各所に残る造り酒屋。

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野洲川からは広重も描いた近江富士「三上山」の美しい姿を見ることができる。

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小川が流れる「吉身」そして東海道「石部宿」への分岐道標を過ぎれば「守山宿」は近い。

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街並み保存に力を注ぐ「守山宿」に入る。

Dsc00048 天満宮の前を進む。

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本陣跡には井戸跡も残る。

「守山宿」は江戸から数えて67番目、中山道としては最後の宿場となる。京からは「京発ち守山泊まり」が一般的で賑わったようだ。手前の武佐宿からは13.7kmと長く、累計距離は500.1kmとついに500kmを越える。

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「中山道街道文化交流館」前には今日まで開催の「ひなめぐり」のひな人形が並ぶ。

Dsc00071 美しい「守山宿」の街並み。

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守山宿紹介音声ガイドにはエコな手動発電装置が組み入れられている。古い道標が立つ。

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「比叡山東門院守山寺」。平安時代に比叡山の東門として山を守るために桓武天皇により建立されたそうだ。守山と言う地名の由来でもある。

Dsc00079 境内のデカい蛙。患部を撫でれば治るとか。向かいの呉服店主が寄贈したそうだ。

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「土橋」を渡れば、「守山宿」ともお別れだ。

歴史ロマンの里「鏡宿」からJR野洲駅へ

P1110465 今までと違い激しい交通量の国道を進む所が多く、歩道が整備されていない所もあり、歩きづらい。

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「八幡神社」からは国道と分かれ、静かな道を進む。

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近江平野が広がる。遠くに東海道新幹線が走る。

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「日野川」を渡るため、国道へ戻る。

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「武佐宿」と「守山宿」間は長いため、間の宿・立場が設けられた。それが「鏡宿」だ。道標や旅籠跡の標識が立つ。

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歴史を感じさせる建物は残るが、国道沿いに町は広がる。

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「中山道」以前の「東山道」の宿駅があり、源義経が宿泊した「白木屋跡」に碑が立つ。

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南北朝時代の建築と言われる「鏡神社」。手前左は義経が参拝時、烏帽子を掛けたとされる「烏帽子の松」。

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「間の宿」の本陣跡の看板が立つ。また道の駅「かがみの里 竜王」も国道沿いに建つ。

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京から奥州に向かう際、当地で一泊した義経が池の水を使って元服したと伝わる「義経元服池」。このような史跡が当地にあるなんて驚きだ。

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「鏡宿」から少し進み、左手の林に入ると「平家終焉の地」がある。壇ノ浦で敗れた平宗盛が当地で首をはねられたとか。

P1110518_2 国道と何度も交差しながら進む。脇道に入ると静かな町となる。

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「子安地蔵堂」には多くの無縁仏が並ぶ。

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「甲山古墳」他が残る「桜生(さくらばさま)史跡公園」前を進む。

P1110546 街道風情を盛り上げる藁葺の「暁酒造」と言う造り酒屋。

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「野洲」の町に入る。小学校前に立つ中山道修景整備事業「中山道外和木の標」。

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「鳥居本宿」で分かれた「朝鮮人街道」は再びここで合流する。しかし、当地には石標は見つかりませんでした。

今日は「守山宿」まで歩きたいと思っていたが、曇っていて時折小雨もぱらつき、日没も早い。残り3kmだが時計は5時半を指す。残念だが「野洲駅」までとし帰路についた。
 本日の歩行距離は約28km、万歩計は4万5000歩を示す。

Img014初めて「冬の関西1デイパス」を利用した。乗り放題2900円はメリットがある。

残りは約35kmほどだ。一回では無理かな?次回もお世話になろう。

「五個荘」から静かな郷「武佐宿」へ。

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琵琶湖に注ぐ「愛知川」の手前、「祇園神社」の片隅に立つ「常夜燈」。

P1110352 かつての暴れ川「愛知川」に架かる「御幸橋」を渡る。

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川を渡り、近江商人の故郷「五個荘」に入る。

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あちこちで梅の花も開花し、春の到来を感じる。

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伊勢街道との分岐には「右 京みち、左 いせ、ひの、八日市」と書かれた道標と常夜燈が立つ公園。

P1110369 街道情緒が漂う「五個荘」の街並みを進む。

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伊勢道への分岐・交通の要衝として近江商人発祥の地の一つである「五個荘」は発展したようだ。重要伝統的建造物保存地区に指定される「金堂」を代表とする古い街並みが残り、観光にも力を入れている。

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史跡周辺にはポケットパークと称する休憩所も多く作られている。

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「てんびんの里」と書かれた大きなモニュメントで「五個荘」と別れ、道は国道8号線に合流し、進む。

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石寺に入ると、先日1月25日に参拝した西国第三十二番札所「観音正寺」参道に出た。このような位置関係あったのか。

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新幹線、国道を横断し、少し進むと鬱蒼とした万葉のて歌人にも詠まれた「老蘇の森」が現れる。古代より安産延寿、狩猟・農耕の神として多くの信仰を集めた「奥石神社」だ。

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P1110424_2  「鎌若宮神社」そして建部伝内ゆかりの「東光寺」を進む。

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このあたり「安土町」ではマンホールの蓋に信長の旗印「永楽通宝」が描かれている。

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蓋のデザインが変わり、「近江八幡市」に入る。「大門跡」の標識が立ち、いよいよ「武佐宿」に入る。

P1110435 「牟佐神社」

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ひっそりと静かな「武佐宿」の街並みを進む。

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今は武佐町会館となっている「脇本陣跡」

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商家・大橋家など歴史を刻む建物が並ぶ。

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「本陣跡」は古い門が残る。

江戸から数えて66番目の「武佐宿」は手前の「愛知川宿」から9.8km、累計で486.4kmに位置する。

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伊勢道の道標、常夜燈が並ぶ。

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地元小学生手作りの「高札場跡」標識を過ぎ、近江鉄道「武佐駅」まで来ると、「武佐宿」ともお別れだ。

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線路を渡り、間もなく地域の名士「伊庭家」の屋敷跡が公園として開放されている。静かな「武佐宿」と別れ、「守山宿」に向かう。

近江商人発祥の地「愛知川宿」へ。

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今週に入り暖かい日が続く。ならばと中山道・近江路の続きを歩こうと早朝家を出たが、週の初めの天気予報ほど好天とは言えない。しかし、曇天だが気温は高そうだ。

 JR彦根駅で近江鉄道に乗り換え、3つ目の「高宮駅」で下車し、前回歩いた「高宮宿」を抜け、犬上川にかかる「無賃橋」を渡る。

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随所に松並木が残る静かな田園地帯を進む。

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「鳥居本宿」入口と同じモニュメントが立つ。彦根市とお別れか?しかし、「また おいでやす。」と書かれてる。これって京ことばだよな?

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豊郷町に入り、進むと広い敷地に歴史を感じさせる美しい建物が建つ。「豊郷町立豊郷小学校」とある。

P1110274 八幡神社境内に間の宿であった「一里塚の郷 石畑」の碑

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近江商人代表格の伊藤忠・丸紅の創始者「伊藤忠兵衛翁碑」が立つ「くれない公園」。この名は元々の屋号「紅長」に由来し、「丸紅」につながるのか・・・。

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その先には「伊藤忠兵衛旧邸」が記念館として開放されている。近江麻布を扱う近江商人から総合商社へ大きく羽ばたいたのだ。

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今まで宿場間は見どころ少なくひたすら歩くのが定番だが、当地はいささか異なる。さすが近江商人発祥の地、見どころ満載だ。続いての「又十屋敷」は廻船問屋藤野家の本宅跡。

P1110297「又十屋敷」前には「石畑の一里塚跡碑」が立つ。元来は豊郷町役場前付近にあったようだ。

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「千樹寺」には「江州音頭発祥の地」の碑が立つ。

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道は「宇曽川」に架かる「歌詰橋」を渡る。「平将門」にちなむ伝説が残る。

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いよいよ「愛知川(えちがわ)宿」に到着する。大きなアーチが出迎えるが、手前で中山道を歩く大集団に出会う。

P1110320 まず歴史を感じさせる料亭が建つ。

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古い商家が残り、さすが近江商人発祥の地、往時を偲ばせる風情を感じさせる街並みが続く。

P1110332 本陣跡は標識が残るのみだ。

江戸から数えて65番目の「愛知川宿」は手前の「高宮宿」から7.8km、累計で476.6kmに位置する。

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旧豪族屋敷といわれる「宝満寺」

P1110333_2 高札場跡碑が門前に立つ「八幡神社」

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長い歴史を感じさせる料亭「竹平楼」を過ぎ、将門の首を洗ったと伝わる「不飲川」を渡れば、「愛知川宿」ともお別れだ。

「多賀大社」の門前町で賑わった「高宮宿」

Img_6328のどかな田園地帯を進む。もう積雪はほとんど残っていない。

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小野町は小野小町出生の地と言う説があり、「小町塚」が立つ。

Img_6351 初めて東海道新幹線とも合流だ。

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「多賀みち」の道標を過ぎ、「扇塚」の石碑が残る「石清水神社」まで来れば宿場は近い。

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近江鉄道踏切手前に「高宮宿」の標識が立つ。

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往時の面影を残す街並みを進む。

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Img_6412 延命長寿、縁結びの神として古くから信仰されてきた「多賀大社の大鳥居」「常夜燈」が立つ。

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門前町ならではの提灯屋も残る。右は家康や明治天皇の史跡の残る「円照寺」。

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表門が残る「本陣跡」

「高宮宿」は江戸から数えて64番目、手前の「鳥居本宿」からは5.9km、累計で468.8kmに位置する。「多賀大社」の門前町として賑わった「高宮宿」は今も古い街並みが残り往時を偲ぶことができる。

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「ふれあい館」となった「脇本陣跡」と「芭蕉の紙子塚」

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「高宮宿」のはずれ「犬上川」に架かる「無賃橋」。彦根藩は無料でこの橋を渡らせたたためこの名が残っているそうだ。

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時計は5時を指す。「無賃橋」の向こうに日も沈んできた。今日はここまでとする。

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JR「南彦根駅」まで歩き帰路につく。今日の歩行距離は約30km強、万歩計は47,305歩を示す。

 これで残り5宿、63kmほどで京 三条大橋に到着できる。後3日かな?頑張ろう!

「摺針峠」を越えて「鳥居本宿」へ。

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「摺針峠」への道は名神高速の横を徐々に上る。

P1100795 振り返れば「伊吹山」が大きく見えるはずだが、今日は天気は良いものの春霞か?ボンヤリ曇り、うっすら見えるだけだ。

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山道に入り、野生の猿数十匹の群れに遭遇!一斉に猿は山の中に逃げ込むが、一匹だけ奇声を発し、こちらを凝視している。襲われるかもと正直ビビった。ボス猿か?早足でこちらもその場を後にする。

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「摺針峠」の道標が立ち、右折し峠に向かう。

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また雪の量が増えてきた。こんな山あいにも集落があり、驚きながら上る。

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「摺針峠」の上からは琵琶湖が見渡せるとの事だが、積雪が多く地道はこれ以上進めない。

Img_6241 下りに入る。足を滑らせないよう注意が必要だ。

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木立の間から友人の勤めていたフジテックのタワーが見える。

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「中山道」は正しくはこちらのようだが、選択の自信は無く、車道を進む。

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麓まで下ると、「磨針峠望湖堂」と書かれた立派な石標が立つ。

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旅人のモニュメントが立ち、「鳥居本宿」に入る。松並木も復元されている。

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Img_6283 皇女和宮降嫁の際にも小休所として利用されたそうだ。宝暦年間に建てられた鳥居本名産の「赤玉神教丸本舗」の大店舗。

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Img_6312 元道中合羽所が2軒あり、店先にはユニークな看板がかかる。

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本陣跡の寺村家には昭和初めに建てられた洋館が建つ。

「鳥居本(とりいもと)宿」は江戸から数えて63番目、手前の「番場宿」からは4.0km、累計で462.9kmに位置する。街道の面影を色濃く残し、見どころの多い宿場だ。

Img_6297「脇本陣・問屋跡」

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クラッシックな近江鉄道「鳥居本駅」。ここまでの予定だったが、まだ3時、次の「高宮宿」まで行くことにする。

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「鳥居本宿」も終わりに差し掛かったあたりに彦根道との分岐があり、道標が立つ。彦根道とは朝鮮人街道とも呼ばれ、彦根を経由して野洲で再び中山道と合流する。家康が関ヶ原合戦勝利の後、凱旋行進した道だそうだ。

 見どころ多い「鳥居本宿」を後にし、「高宮宿」に向かう。

番場の忠太郎で知られる「番場宿」へ。

P1100750 河南、樋口と静かな集落を進む。

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「久礼の一里塚跡」まで来れば「番場(ばんば)宿」は近い。

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「番場宿」に入る。

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碑は立てられているが、往時の史跡は残っていない。

「番場宿」は江戸から数えて62番目、手前の「醒井宿」から3.9km、累計で458.9kmに位置する小さな宿場だ。「番場の忠太郎」は長谷川伸の戯曲「瞼の母」の主人公だが、架空の人物だ。

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街道筋から少し入った所に建つ聖徳太子の創建と伝わる「蓮華寺」。

P1100784_2 静かな「番場宿」の街並みを抜け、「摺針峠」に向かう。

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