四国八十八ヶ所 歩き遍路の旅

四国巡礼のお礼参りに「高野山奥の院」

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昨年6月30日に四国八十八ヶ所歩きお遍路を結願し、早くも約9ヶ月の月日が過ぎた。一緒に発願した学生時代の友人も昨年12月に無事結願し、気候も良くなって来たことから、一緒に「高野山奥の院」へ御礼参りに行こうと出かけた。

7年前、旧東海道を歩いた時にも最後、京都三条大橋まで一緒に歩いてくれた学生時代の「どたぐつ」仲間も付き合ってくれ6名で参拝に向かう。

Dsc09668_2 【10:11】南海高野線に乗り、途中橋本で乗り換え終点「極楽橋駅」に到着。「高野山ケーブル」への乗り換え駅で周辺には何もない。

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【10:21】電車には多くの参拝客、観光客が乗車していたがケーブルカーに乗り換え、歩いて高野山を目指すのは我々だけだ。朱塗りの「極楽橋」を渡り、「不動坂」を登る。

今日のコースは

極楽橋駅-不動坂-清めの不動堂-女人堂-金剛峯寺-奥の院-奥の院バス停

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なだらかな上り坂が続く。

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【10:52】 「清めの不動堂」に到着する。

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整備されたコンクリート道は止め、土の旧道を進むことにした。

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【11:03】久しぶりのハイクとなったH君の要望でひと休みです。

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【11:11】「旧道を進むとところどころに往時を偲ばす史跡が残されている。(花折坂)

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【11:15】 昨秋の台風18号により登山道は一部流失しているが歩行にほとんど影響は無い。

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【11:20】歩き始めてほぼ1時間で「女人堂」に到着。明治5年まではここから先は女人禁制だったそうだ。

Img077_2 納経帳の番外スペースに「女人堂」にて朱印をいただく。

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「女人堂」から先は車道を歩く事になる。

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今までの山道が嘘のように町が広がり、観光客・参拝客も多く、まるで別世界だ。

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【11:47】高野山真言宗の総本山「金剛峯寺」に立ち寄り、参拝する。

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広々とした境内には厳粛な雰囲気が漂う。

Img075_2 納経帳に朱印をいただく。

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【12:11】時間はあるので、南下し「大門」近くの釜めし「つくも食堂」にて昼食とする。

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「地どり釜めし定食」を注文。「胡麻豆腐」も付いてボリューム満点です。一釜ずつ焚いていておこげも美味しい。「精進料理」も良いが、おススメです。

Dsc09722メニュは写真通りで、1400円は手頃です。

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【13:11】「奥の院」に向かう途中、国道371号線を右折し、少し入って所にある「濱田屋」に立ち寄り義母の好物「胡麻豆腐」を購入。

Dsc09726歴史を感じさせる店構えだが、店内に並ぶのは4個入、6個入、8個入の3種類のみだ。

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【13:18】続いて「濱田屋」への曲がり角のある和菓子「みろく石」に立ち寄る。

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高野山名物「やきもち(よもぎ)」をいただく。良質であっさり味の餡で美味しい。

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【13:37】「女人堂」からはすっかり観光気分になってしまったが、再び車道を北上し、「一の橋」から鬱蒼とした杉林の中を「奥の院」に向かう。

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道の両側には数十万と言われる墓石が並ぶ石畳の参道を進む。

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厳粛な雰囲気の中、樹齢数百年は経とうか思われる杉林の中を進む。

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戦国武将など歴史上の人物の墓が並ぶ。今まで体験した事の無い雰囲気だ。

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【14:05】「一の橋」から約30分ほどでいよいよ「御廟橋」に到着する。ここからは霊城で撮影禁止となる。正面に見えるのは「燈籠堂」でその裏手に「弘法大師御廟」がある。

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【14:28】参拝を終え、最後は御廟橋脇の納経所に立ち寄り、最後の朱印をいただく。

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朱印と共にお姿をいただく。

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【15:04】帰りはバスでケーブルカー「高野山駅」に到着する。

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ケーブルカーで「極楽橋駅」に向かう。

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【15:20】「極楽橋駅」からは特急「こうや」で難波に戻り、ビアホールで喉を潤し、夏の山行を打ち合わせて解散となった。

第一番「霊山寺」を参拝、発願してちょうど3年かかってお礼参りを終えた。またいつの日か、今度は「通し打ち」で参ってみたいものだ。

色々な想いを胸に結願の寺 四国八十八番「大窪寺」

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【6/30 7:12】いよいよ結願の朝を迎えた。へんろ談義に盛り上がり出発が遅れてしまった。女将さんの見送りを受け、16km先の結願の寺、四国第八十八番札所「大窪寺」に向けいよいよ出発だ。

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南に向かって歩を進め、山が近づいて来た。

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【8:11】前山ダムに到着する。やはり水量は少ないようだ。

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【8:13】スタートしてちょうど1時間、おへんろ交流センターに到着する。

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内部にはおへんろの色々な資料が展示されている。ゆっくり見学したいが余裕なし。

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交流サロンでは「四国八十八ヶ所遍路大使任命書」を発行してくれる。年度は7月からスタートだそうで、今日は年度最終日で発行ナンバーは2460番!交流サロンに立ち寄らない人も推定すると年間の歩きお遍路人数は約3000名とか!?

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前山おへんろ交流サロンから「大窪寺」までのルートは色々ある。写真は「長尾寺」にあった案内だが、当初は女体山を通る「四国のみちコース」を歩く予定だったが、交流サロンのガイドの方から初めてならやはり「旧へんろ道コース」を歩いてほしい。歩きお遍路はお大師様の足跡を辿るのが原則で四国のみちは近年開かれたハイキングコースのような物とのアドバイスあり、確かにその通りかと「旧へんろ道コース」を歩く事にした。

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【8:35】少し戻り「旧へんろ道コース」を歩む。

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単調な舗装されたへんろ道が続く。途中、右手の展望が開け、疲れを癒してくれる。

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【9:27】東花折峠に到着し、これからは下りに入る。

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【10:25】途中、バス道と合流し、残り4kmの標識先の休憩所でひと休みだ。

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残り2.3km、残り0.7kmとゴールは近づき、色々な想いを胸に歩を進める。

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【11:05】交流センターから2時間半で結願の寺、四国第八十八番札所「医王山(いおうざん)大窪寺(おおくぼじ)」仁王門下に到着する。

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本堂

養老元年(717)に行基菩薩が開創し、後に弘仁6年(815)弘法大師が本尊・薬師如来を刻んで堂宇を整え、八十八番結願の霊場と定めたそうだ。

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さすがに結願の寺、多くの参拝客で賑わっている。

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大師堂

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結願関連の大師像が立つ。

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結願御礼の石碑が多く並ぶ。

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本堂前で記念写真。

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「二天門」から「大窪寺」を後にする。

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「医王山 大窪寺」

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納経所で「結願証明書」を有料で発行してくれる。

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【12:35】「二天門」下の門前食堂「八十八庵(やそばあん)」で昨夜の宿で一緒になったメンバーと3名でうどんにソフトクリームで祝杯を上げる。

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【13:30】帰りはさぬき市コミュニティバスで志度に向かう。

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【14:50】「志度バスストップ」で下車し、高速バスに乗り換え、帰阪する。

2011年3月26日発願し、2013年6月30日結願を迎えた。その間約2年3ヶ月かかり、延べ44日間で1200kmを歩いた事になる。当初の予定より多くの歳月を費やしたが、多くの人と出会い、色々な事を考える事ができた長旅だった。まずは健康で歩き通せた事に感謝したい。後は高野山奥之院にお礼参り参拝をすることだ。

静御前の思いが宿る四国第八十七番「長尾寺」

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【12:57】海岸線と別れ、本日最後の札所四国第八十七番札所「長尾寺」に向けスタート、県道3号をJR高徳線に沿って南進する。

香川県は一番ため池が多いと聞くが、確かにお遍路中も多くのため池を見てきた。今年は全国的に水不足が心配されるが、先週の雨が効いたのかオレンジタウン沿いの幸田池は十分な水量だ。

Dsc07088道路標識についに「大窪寺」まで20kmの文字が!!

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【13:51】「当願堂」に設置された休憩所で一服だ。

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朝顔やユリの花も美しく咲く。

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【14:15】県道と並行して進むへんろ道を進み、長尾寺奥ノ院「玉泉寺」前を進む。

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【14:33】長尾寺1.3km手前の休憩所で数年前からお接待を続けておられるご老人に出会う。ちょうどオレンジを持ってこられたところで、瑞々しい甘いオレンジをいただく。お元気で続けて欲しいものだ。お世話になりました。

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【15:05】四国第八十七番札所「補陀落山(ふだらくざん)長尾寺(ながおじ)」に到着する。

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仁王門にはこちらにも大きな草鞋が掛けられていた。

Dsc08397_2仁王門は珍しい鐘楼門になっている。

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広い境内には正面に本堂、右に大師堂、左に護摩堂が整然と並ぶ。

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本堂

天平11年(739)聖武天皇の勅願により行基菩薩が当地を訪れ、本尊聖観世音菩薩像を刻み開創し、弘法大師も入唐にあたり護摩修法をおこなったそうだ。

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大師堂

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源義経を慕った静御前が長尾寺までやってきたが会えずに得度したと言われ、その剃髪塚が残る。

Dsc07107境内に道標が立つのは珍しい。八十七番札所ならではか?いよいよ残り16.5km「大窪寺」のみとなった。ガンバロー!!

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「補陀落山 長尾寺」

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【15:30】今日の宿は「長尾寺」山門左隣の「民宿 ながお路」。

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料理も美味しく、部屋もきれいだ。付近には他にも2軒の遍路宿があるが、1軒は廃業、1軒は素泊まりのみだそうだ。しっかり者のおかあさんを中心に「ながお路」には元気に頑張ってほしいものだ。へんろ客は4人で想い出話や明日のコースで盛り上がる。

万歩計は約4.4万歩を示し、歩いた距離は28kmほどか。

平賀源内のふるさと 四国第八十六番「志度寺」

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【10:37】「八栗寺 大師堂」奥から車道を約6.5km離れた四国第八十六番札所「志度寺」に向け出発する。アスファルトの長い下り坂は徐々に膝にこたえる。

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【11:04】志度湾が見えてきた。

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【11:28】国道11号線に合流し、琴電志度線の踏切を渡る。

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【11:46】今日もお昼はうどんです。

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メニュも冷やしぶっかけ大盛の定番にちくわの天ぷらを注文!

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磯の香りを満喫しながら国道と並行して進むへんろ道を歩く。

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【12:18】志度の町に入る。当地が故郷、江戸時代の偉人「平賀源内」の旧邸前を通過する。

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【12:22】志度寺奥ノ院「地蔵寺」前を進む。

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「平賀源内記念館」があった。へんろ道は志度寺の門前町として発展し、現在は商店街となっているが「源内通り」と名付けられている。「平賀源内」一色の町だ。

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【12:31】「源内通り」の突き当り、四国第八十六番札所「補陀落山(ふだらくざん)志度寺(しどじ)」に到着する。

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国の重要文化財に指定されている仁王門はさすがに堂々とした造りで威厳を感じる。両側に架かる大きな草鞋が印象的だ。

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運慶作と言われる金剛力士像はさすがの迫力だ。

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緑に包まれた境内に入る。

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境内左手に建つ本堂。国の重要文化財に指定され、仁王門同様に堂々とした造りだ。

創建は古く推古天皇時代の625年とか。奈良時代に入り、藤原不比等が妻の墓を建て、志度と名付けたそうだ。本尊は十一面観世音菩薩。

Dsc07077本堂にてご婦人にお接待を受ける。

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本堂右横に建つ大師堂。

Dsc07081五重塔も建ち、緑に囲まれ、印象に残る名寺だ。

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平賀源内の墓がある志度寺塔頭「自性院」

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「補陀落山 志度寺」

五剣山の中腹、四国第八十五番「八栗寺」

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【8:08】「屋島寺 東大門」を出て、四国第八十五番「八栗寺」へ向かう。

スタートしてすぐに源平合戦の折、源氏が刀を洗い血に染まったと伝わる「血の池」がある。

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展望台からは源平合戦の舞台「壇ノ浦」から「五剣山」を見渡す事ができる。

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「八栗寺」への下山路は往路とは違い、荒れていて雨上がりなどは滑りやすく危ない。一歩ずつ慎重に下山する。

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厳しい下りを終えると源平合戦の史跡が続く。まずは義経の身代わりとなり戦死したと伝わる「佐藤継信の墓」。

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「安徳天皇社」

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「壇ノ浦」を過ぎ、「五剣山」の登りに差し掛かり、「うどん本陣 山田屋」前を通過する。過去に何度か行ったことがあるがまさかへんろ道上にあったとはビックリだ。

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牟礼の住宅地の中を進む。

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ホントにアジサイが美しい。

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【9:38】八栗ケーブルの「八栗登山口駅」に到着する。

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当然のことながらケーブルカーには乗らずへんろ道を進む。

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へんろ道には石仏が並び、勾配も徐々にきつくなる。

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【10:03】見晴らしの良い高台に「お迎え大師」が立つ。

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【10:03】険しい五剣山をバックに「八栗寺」の石柱に到着する。

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【10:05】四国第八十五番札所「五剣山(ごけんざん)八栗寺(やくりじ)」山門前に到着する。

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五剣山をバックに本堂が建つ。

弘法大師が開基、歓喜天霊場としても知られる。

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歓喜天を祀る「聖天堂」

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神仏分離以前の名残が多く残り、随所に鳥居が立つ。大師堂へはこの鳥居を通り奥へ進む。

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大師堂

Dsc07027大師堂横に立つ多宝塔

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「五剣山 八栗寺」

高松から源平合戦の屋島へ 四国八十四番「屋島寺」

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【6/29 5:34】前日は夜8時前に寝てしまい、3時頃から目が覚めてしまった。夜明けと共にホテルを出る。

高松の街中を抜けると、これから向かう屋島の姿が朝日の昇る方向に見えてきた。

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国道11号線を東に進む。今日は天気が良さそうだ。

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琴電「潟元駅」から国道11号線と分かれ、屋島に向かう。へんろ道は地域の皆さんのウォーキングコースとなっているようで朝早くから多くの市民と出会う。今日記念の2000回目と言う元気な先輩と一緒に歩を進める。

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【7:35】スタートしてちょうど2時間、四国第八十四番札所「南面山(なんめんざん)屋島寺(やしまじ)」仁王門前に到着する。

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続いて四天門が建つ。

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四天門の先には本堂が見える。

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広い境内に入り、正面に本堂、左手に宝物館が建つ。

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室町時代に再建された本堂。国の重要文化財に指定されている。

中国の名僧「鑑真」の開創とされ、その後弘法大師が嵯峨天皇の勅願を受け、本尊十一面千手観音像を刻み、現在の場所に移したそうだ。

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本堂右手に建つ大師堂

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「蓑山大明神」

四国狸の総大将「太三郎狸」と呼ばれる土地の氏神。家庭円満、縁結び、子宝の神様として信仰が厚いそうだ。

Dsc06939_2可愛いお遍路さんの姿も。

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【8:08】東大門を出て、次の「八栗寺」に向かう。

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「南面山 屋島寺」

五色台を下って四国第八十三番「一宮寺」

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【11:37】五色台を下り、11.5km先の四国第八十三番札所「神毫山(しんごうざん)一宮寺(いちのみやじ)」に向かう。

曇っているが瀬戸内海に浮かぶ島々が見える。

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長い下りが続く。

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アジサイが見ごろだ。

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高松の街の向こうに明日向かう屋島が見えてきた。

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麓の町「鬼無(きなし)」は盆栽の町のようだ。

Dsc06863【13:00】今日もお昼は冷やしぶっかけうどん大盛です。

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【13:31】「飯田お遍路休憩所」に到着。過去最も立派な休憩所で、空調完備、洋式水洗トイレ完備、ウォータークーラー完備でお接待の梅干しが最高だ。

個人の方の表札がかかっていた。維持は大変だと思われるが是非継続して欲しいものだ。お礼を添えて納札を残す。

Dsc06876香東川に沿ってひたすら歩く。

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【15:11】ようやく四国第八十三番札所「神毫山(しんごうざん)一宮寺(いちのみやじ)」山門前に到着する。

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山門を入る。

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境内正面に建つ本堂

讃岐国一宮・田村神社の別当寺として建立されたが、その後大師が本尊の聖観世音菩薩像を刻み、真言宗に改めたそうだ。

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大師堂

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「地獄の釜」の伝説が残る薬師如来。

Dsc06894岸信介元総理の般若心経石碑

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裏には真新しい護摩堂が建つ。

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「神毫山 一宮寺」

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【16:45】「一宮寺」を高松の中心地に向かい、「栗林公園」前に到着する。

Dsc06911【17:00】隣りのコンビニで夕食、朝食その他飲み物を買い揃え、栗林公園前の「ビジネスホテル パークサイド高松」に到着する。

途中、小雨がパラついたが雨具を使うほどでなく、時間的にも予定通りの一日だった。万歩計は約4万歩をしめし、歩いた距離は26kmほどか。

香川県名の由来にもなった四国八十二番「根香寺」

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【6/28 9:00】暑くなる前に結願したいと思っていたが、この週末は比較的天気が良さそうと言う予報により急きょ早朝自宅を出て、JRを乗り継ぎ9時前に前回の終着駅JR予讃線「国分駅」に到着する。ドンより曇っているが雨は大丈夫そうだ。

準備を整えて午前9時出発する。

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【9:05】四国第八十番札所「国分寺」前を通過する。

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前回下ったのどかな田園地帯を進む。

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【9:27】車道と分かれ、へんろ道に入り、緩やかな上り坂を進む。

Dsc06760_2【10:02】日は射していないが、蒸し暑い。汗びっしょりで休憩所に到着する。紫陽花が美しい。

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休憩所からの眺めは曇っていてイマイチだ。

Dsc06769_2【10:15】「白峯寺」と「根香寺」の分岐となる林道に出る。前回はこの林道を歩き、「白峯寺」からここまでやってきた。

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分岐からは歩きやすい平坦なへんろ道が続く。

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【10:34】「白峯寺」からのへんろ道と合流する十九丁ポイントに到着する。

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【10:47】再び林道に出て「足尾大明神」まで来れば「根香寺」は近い。

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【11:04】またもへんろ道を進み、四国第八十二番札所「青峰山(あおみねざん)根香寺(ねごろじ)」山門前に到着する。

Dsc06801仁王像前には旅の安全を祈願するでかい草鞋が奉納されている。

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山門を入り深い戻りに囲まれた参道を進む。

Dsc06812_2長い石段を上る。

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さらに石段を上り本堂前に建つ万体観音堂に到着する。

弘法大師が弘仁年間に五色台の首峰の青峰の中に創建した。弘法大師の甥・智証大師が本尊の千手観音像を刻み、この根株が永く芳香を放ったので「根香寺」の寺名が名付けられたそうだ。また「香川」の名もこれが由来だとか・・・。

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本堂へは万体観音堂の回廊を進む。

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「本堂」 天台宗の寺院だ。

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本堂右横に建つ「大師堂」

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境内には可憐にききょうの花が咲く。

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五大明王を祀る「五大堂」

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山門下、駐車場横に立つ「牛鬼像」。当地に住み、人々を大変困らせたと伝えられる伝説の怪獣だ。

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「青峰山 根香寺」

今回はここまで四国第八十番「国分寺」

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逆打ちとなるが今回のお遍路区切り打ち最後の霊場、6.5km先の四国第八十番札所「白牛山(はくぎゅうざん)国分寺(こくぶんじ)」に向かい、JR国分駅から帰路につく。

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【15:00】「国分寺」閉門までちょうど2時間、山下りスタートだ。山を下ると思っていたが、へんろ道は上りが続く。良く地図を見ると等高線は確かにそうなっている。しばらく上りが続きそうだ。

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往時の名残が所々に残る。

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へんろ道の横には自衛隊の善通寺演習場が続き、演習中の自衛隊員の元気な声が響きわたる。

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県道を歩く。

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【15:43】一本松の分岐に到着し、ここからは下りが続く。次回「根香寺」を打つ際もここまでは再度上らねばならない。

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展望台が設けられ、国分寺町の街を見下ろす絶景ポイントだ。

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静かな街並みを進む。

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【16:30】全国の国分寺の中でも讃岐国分寺は最大級で色々な遺跡が発掘されているようだ。「讃岐国分寺跡資料館」前を通過する。

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続いて「特別史跡 讃岐国分寺跡」を通過する。往時は現在の倍以上の敷地があったようだ。

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【16:45】際どい時間となったが、閉門15分前に四国第八十番札所「国分寺」仁王門に到着だ。

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まずは納経所に向かう。大師堂礼拝殿となっていて納経所やお守り授与所と兼ねていて珍しい造りだ。

Dsc06430多宝塔が大師堂となっていて右手前の礼拝殿からお参りすることになる。

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本堂

天平13年(741)聖武天皇の勅願により全国に建立した国分寺の一つで行基が本尊・十一面千手観世音菩薩を安置して開基したそうだ。

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創建当時から残る四国最古級の鐘楼。

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奈良時代の金堂跡を示す礎石が残る。

昨日の善通寺とは違い、閉門時間5時前から準備が始まり、残念ながら地元に溶け込んだ感じはしない。

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「白牛山 国分寺」

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【17:02】JR予讃線「国分」駅に到着し、坂出でマリンライナーに乗り換え、岡山に出て帰阪した。

万歩計は約53,000歩を示す。歩いた距離は34-5kmか?

今回の区切り打ちで残り7ヶ寺となった。距離的には70km余で3日間はかかるかな?できるだけ早いうちに結願したいものだ。

80番を飛ばして先に四国第八十一番「白峯寺」

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【12:39】「天皇寺」を出て今日最後の予定である「国分寺」を打ち、帰阪予定だったが心配された天候も持ちそうだし、時間はまだ12時半を回った所で2時過ぎには「国分寺」に着きそうなため地図を見ると81番「白峯寺」へ真っ直ぐ向かうへんろ道がある事がわかった。

ならばと6.5km』先の四国第八十一番札所「綾松山(りょうしょうざん)白峯寺(しらみねじ)」を参拝後「国分寺」を打つことにした。

Dsc06350【12:47】JR沿いの分岐を「白峯寺」へ進路をとる。

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しずかな田園地帯を進む。収穫を終えた麦畑では野焼きされていた。この後、水を張って水田になるのであろう。

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【13:34】「白峯寺」への分岐に到着し、「五色台スカイライン」を上る。

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「五色台スカイライン」のダラダラ上りが続く。

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振り返ると「明石大橋」が見える。

Dsc06369【14:13】スカイラインと分かれ1kmの参道を進む。

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予想外に良く整備された参道が続く。こちらが正しい参道か!?

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【14:27】「崇徳上皇廟所」前を進む。

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【14:30】七棟門と呼ばれる変わった造りの四国第八十一番札所「白峯寺」山門に到着する。

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山門を入り、正面には納経所を併設する「護摩堂」が建つ。

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左折し、正面には崇徳上皇の御霊所「頓証寺殿」が建つ。

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本堂、大師堂へは石段を上る。

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石段を上り正面に建つ本堂

弘法大師と大師の甥・智証大師の開基と伝わる。本尊は千手観世音菩薩。

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本堂右横に建つ大師堂

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「綾松山 白峯寺」

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